たった5歳の子どもにも国語辞典を与えるべき理由。“辞書を引く”ことの莫大なメリット
大学では一方的な講義が主流だから、そこを改善しようとしたわけです。小学校では以前から「調べ学習」を取り扱っていました。それが、アクティブラーニングという言葉が大学から下りてきたせいで、その時間を確保するため、辞書で意味調べをするような時間が減ったそうで、そのことを小学校教諭の友人が嘆いていました。それはまるで、基礎トレーニングを積まないまま、スポーツの大会に出るような感じだと思います。
ボーっと生きてんじゃねーよ!
辞書が引ける子とそうでない子では何が違ってくるのでしょう?
分からない、知らないことに出会った時、なぜなのか調べもせずに生きていると、チコちゃんに叱られます(笑)。チコちゃんの番組でも色々取り上げられますが、大人でも「そういえばなんでだろうね?」ということがありますよね。まして、子どもにとっては、世の中全体が分からないことだらけなのです。
知らなくてもいい。
分からなくてもいい。それは思考停止、思考放棄の状態であり、私はとても危険だと感じます。分からないこと、あいまいなことを、きちんと調べて自分の知識とする習慣がほとんどない子が増えてきていると、小学校教諭の友人から聞いています。
辞書を引くとは「分からないことをどうやって調べるか」の基本動作を身につけることです。辞書が上手に引ける子は、調べ学習の基本動作が身につくのです。この動作が慣れてくると、辞書を引くことがおっくうだと思わなくなり、むしろ楽しむようになってきます。私の生徒の中にも、授業の途中で何回も辞書を引く子がいます。
インターネット検索が気軽にできない子どもの場合、辞書は力強い友達です。
そして、「分からないことをそのままにしない」という基本姿勢は、何物にも代えがたい「生きる力」を子どもに与えます。分からないことをそのままにしないということは、自分の知識を増やすという結果だけではなく、姿勢そのものが大切なのです。
例えば、身近な社会問題に対して、
「よく分からないけど、ま、いいか」
という姿勢と
「よく分からないから調べてみよう。そうか。そういうことなのか。じゃあ、今度こうしてみよう!」
という姿勢との差。1回1回でこの差があるとしたら、どれだけ未来が違うか想像がつくでしょう。
私は、国語辞典で、この時代を生きぬくための基本動作が身につくと言っても言い過ぎではないと思います。