愛情の強要はダメ! 子どもに愛される親になるための条件とは
<出典:『ラッセル教育論~特に幼児期における~』(On Education,especially in early childhood)1926年、邦訳は鈴木勝義による>
※『バートランド・ラッセルのポータルサイト』より引用
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●“愛”を義務化しようとするから息苦しい世の中になる
いかがでしょうか。およそ90年も昔の人の言葉であるにもかかわらず、胸に鋭く突き刺さってはきませんでしょうか。
筆者には地元の市立中学校に通う息子とやはり地元の保育園に通う男の子の孫がいるのですが、おかげさまで彼らが通う学校や園ではおかしな“愛情の強制”教育は行われていません。
当たり前のことではありますが、子どもたちは特に問題ない限りにおいて自分のことをこの世でいちばん気にかけてくれているママやパパのことが大好きです。
また野鳥たちが飛び交い友達と遊んだ川がある自分が育った土地のことも大好きです。
ラッセルも示唆しているように“親子の愛”も“兄弟愛”も“郷土愛”も“母校愛”も、義務化などしなくたって本来子どもたちには自然と備わっている感情 なのです。
にもかかわらず、最近は義務化できないはずの“愛”を義務化しようとする立派ななりをした大人が多いように見えませんか。
今わたしたちがこの世の中に感じる何とも表現し難い“息苦しさ”の正体もそれなのではないでしょうか。
●父は妻子を愛するがゆえに妻子に愛されて旅立って行った
筆者は町工場の経営者だった父親が87歳でなくなった直後の2012年の初めに、ある全国版の新聞に父親の思い出を綴ったコラムを寄稿しました。
著作権が新聞社にあるので全文をそのまま掲載することはできないのですが、朝から晩まで工場の薬品にまみれて働き、空いた時間で資金繰りに飛び回り、働いても働いてもお金に縁の無かった父にどうしても贈りたくて書いた作品でした。
そのコラムの中で筆者は、中学生のとき急性緑内障を発症した疑いで一刻も早く眼科に行って処置しなければ失明する怖れがあるという状況の中、けっこうな体重になっていた自分のことを父がおぶって眼科の病院まで走って連れて行ってくれた思い出にふれました。
お金になんか縁の無い人でも、自分のことを全力で愛してくれる親のことを子どもが愛さないはずがないのです。そんな人でしたから、父は妻(筆者の亡母)のことも娘(筆者の姉)