萎縮させてるだけ? 子どもを“叱る”ときのNGワード3つ
こんにちは。ライターの川中利恵です。
最近、ソーシャルネットワーク上で、多くの学生が研究内容などを報告した際、教授に「どうして?」と問われると委縮してしまい、理由を答えるのではなく、自らの意見を翻したり、謝ったりする、というエピソードが話題になっていました。
もともと「どうして?」は、意見を問う表現のはずです。それなのに、なぜ子どもたちは、まるで叱られたかのように委縮してしまうのでしょうか。
それではコミュニケーションも有意義な意見交換もできなくなってしまい、議論を深めたくても、できなくなってしまいますよね。
●「どうして!?」と怒鳴っていませんか?
わが家の高校生たちに、先生に意見や問題の解答を求められて答えたあと「どうして?」と聞かれたらどう感じるか尋ねてみました。
すると、子どもたちはしばらく考えたあと、
『自信があれば理由を言うけど、なかったら「間違えたから理由を聞かれたのかな」と思って意見を変えちゃうこともあるかも。
言い方によっては最初から怒られているように感じる 』
と答えたのです。
そこで、私なりに理由を考えてみました。
言葉はコミュニケーションです。同じ言葉でも、伝え方が異なれば受け取り方も違いますし、習慣的に言われ続けた言葉にネガティブなイメージがあれば、多くの方にとってポジティブな内容であろうと、ネガティブな言葉と受け止めてしまうこともあります。
ですから、「どうして」の言い方がきつければ叱られていると感じてしまうのも仕方がありません。
では、穏やかに「どうして?」と問われても叱られてしまうと感じてしまうケースがあるのはなぜでしょう。
子どもたちは何度叱っても同じことをすることがあります。そんなとき、親だって人間ですから、イライラしたり、腹が立ったりするわけです。
私も経験があるのですが、「頭ごなしに叱ってはいけない」という思いがあるものの感情を抑えきれず、「どうしてそんなことをするの!」とつい怒鳴ってしまっていたように思うのです。
親としては魂の叫びに近いものがあるのですが、結果的に小さいときから、叱られるときに「どうして?」と言われ続けてきた子どもには、「どうして」=「怒られている」 という認識になってしまっている可能性があるのではないでしょうか。●叱り方3つのポイントって?
京都市の教育委員会で作成された『規範意識を育む ほめ方・叱り方』という資料があります。