夏目漱石もそうだった? 歴史上の偉大な人物には“不良”が多いワケ
こんにちは。エッセイストで経済思想史家の鈴木かつよしです。
みなさんは、「偉人」とか「歴史上の大人物」といった言葉からどんな人を連想されるでしょうか。
筆者の場合は、米国の野球選手で国民的英雄のベーブ・ルース。英国のロック・ミュージシャンでザ・ビートルズ形成期の実質的リーダーであったジョン・レノン。日本の小説家である夏目漱石。こういった人たちを思い起こします。
もちろん人によって「偉人」だと思う人物は違うのでしょうが、多くの人々から「偉人」と呼ばれ伝記になっているような人物の共通点の一つに、「若いころは“不良”と呼ばれたような問題児ばかりである 」というのがあります。
それは、どうしてでしょうか?
●その時代の限界を突き破ったからこそ偉人。鬱積した不良の怨恨が突破の原動力になった
伝記になるような偉人というのは、みな“その時代の限界”を突き破った人々 です。
例えばベーブ・ルースであれば、それまではゴロ(グラウンダー)を転がしてコツコツと得点を重ねるというのが常識だった野球という競技を、遥か彼方の空中へ打球を飛ばして一気に3点、4点と得点する競技に変えてしまいました。
ルースが少年時代、ふだつきの不良だったことは有名な話ですが、病弱な母親を15歳のときに亡くし酒場の経営で忙しくかまってもくれない父親を恨んだルースは、その大きな体を持て余し、喧嘩・万引き・酒・煙草に明け暮れる手に負えない悪(ワル)だったようです。
全寮制の矯正学校に送られたルースは、そこでマシアス神父というルース以上の大男で怪力の教官から勉強と洋服の仕立て方と野球を教わります。
そして、自分の腕力と野球の才能は自分と同じように貧しかったり親の愛に恵まれなかったり病気であったりといった「気の毒な子どもたち」の“夢”となるために使おうと決意します。
尊敬する育ての父親・マシアス先生の指導によって、不良少年ルースの鬱積した世の中に対する怨恨の念は、野球というスポーツ競技の当時の技術とプレー・スタイルの限界を突き破る原動力へと変わって行ったのです。
●「劣等感が莫大なエネルギーを持つ」という精神科医アドラーの理論
筆者がこの、「鬱積した不良の怨恨が時代の限界を突き破る原動力となる」という仮説を友人でもある精神科医のA先生(50代女性)に話したところ、『オーストリア出身の精神科医アルフレッド・アドラーの理論に近い仮説ですね』と言われました。