チャレンジしたくてもできない状況があった。障がいのある子どもたちを主体にチャレンジフットサルに取り組むバルドラール浦安デフィオ
バルドラール浦安でトップチームを目指してやっていく夢を追いながら、仕事では特別支援学校の教員になりたい。自分が持っている二つの夢が合わさった世界があるかもしれないと気が付き、そこから関心を持つようになったんです。
いろんなイベントに足を運び、チャレンジがしたくてもできない人がいることを知りました。今後の活動目標として、障がいがある人と健常者が一緒にプレーできる場をもっと作りたいと思うきっかけになりました。
■聞こえる人、聞こえない人をセパレートしたら意味がないと思った
松田:その中でバルドラールの下部組織としてチームを作られたのはどういう経緯だったのでしょうか?
泉:実はバルドラールでチームを作ろうとは思っておらず、イベントで知り合った方々と一緒に、チームを作ろうという構想を立てていました。ただ、タイミング的にはFリーグでの挑戦を終えてからと思っていました。しかし、引退を決めた時にトップチームのコーチ就任を打診され、チームを立ち上げるのであれば、このコーチの経験が活きると思ったので、1年間やらせてもらいました。そこで経験を積んだので、いよいよチームを立ち上げようとなった時にその想いをクラブの方に伝えたら、浦安で立ち上げないかと言ってもらったんです。
松田:バルドラールのどなたと話されたのですか?
泉:バルドラールで当時監督をやっていた岡山さんと話していく中で、今経験していることを活かし、障がい者スポーツとフットサルが連携できるチームを作りたいと相談しました。そこで賛同を得て、最初は東京などで立ち上げる話をしていたんです。そこから塩谷社長とお話する機会がありました。
自分としては障がいのある方がチャレンジできる場を作りたかったし、クラブとしてもFリーグのクラブとして社会貢献を行うメリットがあると考えていました。素人みたいなプレゼンだったかもしれませんが、社長に伝えたらやってみるかといってもらえました。ただ、チームを立ち上げていく中で、自分としてはデフメンバー主体としつつ、いろんな人が関われる場にしたいという想いがあったんです。もちろん、デフの人だけにしても良かったのですが、セパレートしたら意味がないと思っていました。ただ、聞こえる人はあくまでサポートとしての位置付けで、デフの人が主体になるチーム。
そこからさらに高みを目指せるチームをイメージして作りました。