J下部で出場機会がない息子は13歳。中学生はまだ自分で判断できない子どもだから親はどう導けばよいか問題
親からすればぐずぐずしているように見えるかもしれませんが、そこは待ってあげましょう。
■アドバイス②すでにスポーツ毒親になりかけているかも!?毒親に共通することとは
ふたつめ。
これを機会に子育てをやり直しましょう。お母さんは私が『スポーツ毒親』(文藝春秋)というルポを執筆していることはご存知でしょうか。この本の文脈から言わせていただくと、現時点でお母さんはスポーツ毒親になりかけているようです。
さまざまクラブへの不満が書かれていますが、もしかしたら息子さんが常に試合に出ていれば何の問題もなかったのではありませんか?例えば「試合出場0分、良い加減憤慨しています。(私が)」とありますね。お母さんは息子さんが試合に出られないことが屈辱的だと感じたり、試合に起用しない指導者に対して「大事なわが子に何してくれてんの?」と親心をむき出しにしています。
私は憤慨している。私が悔しい。私が屈辱的。
サッカーをしているのは息子さんなのに、主語が「私」なのです。子どもに起きたネガティブなことをつい自分と重ねてしまう。これは毒親の方々に共通するものです。
実は、私が、私がと「正直な親心」をむき出しにすればするほど、息子さんのストレスはぐんぐん高まります。仮に息子の前では言ってなかったとしても、親の怒りや落胆は子に伝わるものです。
そうすると「試合に出られない自分は親から愛されない、認めてもらえない存在だ」と子どもの自己肯定感は下がり、すこやかな成長の妨げになります。子の自己肯定感は「ありのままの自分」を親が受け入れてくれることが基盤になるのに、「補欠のままではダメ」というニュアンスで伝わってしまうリスクが大きいのです。
試合に出られない息子さんに対し「それは悔しいね。出られるといいね」と"共感"することは大切です。そこに息子さんのサッカーへのこだわりが行き過ぎると、「私のほうが悔しい」と親の感情が子どもと"同化"してしまいます。それではなかなか良い方向には進めません。そのような親子を、これまでの取材や相談を受けるなかでたくさん見てきました。お母さんは「自信喪失し、自己効力感を下げてもらいに通わせているだけじゃないか?」とクラブに対し疑問を呈しています。
しかし、指導者はストレートに言えば「たかが他人」です。親さえしっかり認めていれば、子どもは自尊感情を維持できます。他人の手で容易に潰されるものではありません。