性的、人種的、宗教的マイノリティのために「映画」で戦うふわふわガール。
な人たちの事だ。
アーヤさんが自分のセクシュアリティに悩んだのは、はじめてお付き合いした男性のことが好きだったにも関わらず、セックスに気が進まなかったからだそうだ。
その人と相性が悪かったのか、男性が嫌なのか、セックスが嫌なのか…「?」だった。
セクシュアリティはその「?」の答えによって、ストレート(異性愛者)か、レズビアンか、ノンセクシュアルか…など、変わってくる。
そこで彼女は「選ばない」ことを選んだ。
セクシュアリティは、人のアイデンティティの一部でしかない。
もし魅力的だと思う人に出会えたのであれば、その人が男性なのか、女性なのか、トランスジェンダーの人なのか…は、そこまで重要なポイントではないし、自分自身のことも、「女性だから」好きなのではなく、一人の人間として、好きになってもらいたいとアーヤさんは考える。
「それに、自分のセクシュアリティと向き合うことは、自分と向き合うこと。
悩み続けること(Questioning)は、自分と向き合いつづけることだから、それでいいかなって」
一生続くかもしれない自身との戦いの覚悟を、彼女はほんわかとした口調で何気なく言った。