#002「犬肉」を食べる人々を非難することは正義なのか?“偽善者アレルギー”の私が観る、犬肉祭とは。| カミーユ綾香の「マイノリティ爆弾」
なぜ「犬肉祭に反対する声」を偽善的だと捉えるのか?
では、犬肉祭に反対する声を、どうして偽善的だと捉えるのか。理由は先述したように、自分の心の問題を取り上げて他者に強制しようとしているからです。自分の心の正義を盾に、他者になにかを強制しようとすることは、非情に偽善的です。 正義と言うのは、核爆弾のようなものです。物凄く慎重に取り扱う必要のあるモノです。正義の定義なんて、人や時代によって変わります。歴史を紐解いてみると、戦争、差別、虐殺など、正義の取り扱いミスで人類は甚大な犠牲を払ってきました。個人の心の反応を外に持ち出し、ましてやそれを他者に押し付けようとする場合は、我々は本当に慎重になるべきです。
と、いうことを考えながら、生肉で頭を飾ってみました。
Head Art by Hiroaki MiyazakiPhoto by Masanao NodaMakeup by Yurika
この写真を見て、あなたの心はどう反応しますか。美しいと感じますか。猟奇的だと感じますか。気持ち悪いと感じますか。心がどういう反応をしても、それはあなたの自由です。その反応があなたの自由なように、生肉で頭を飾る行為も私の自由です。