#002 「食を楽しむより写真が大事?」お客さんに違和感を抱く26歳の寿司職人と“食の現代病”について考える。| “社会の普通”に馴染めない人のための『REINAの哲学の部屋』
こんにちは、伶奈です。大学院まで哲学を専攻しちゃったわたしが、読者から日常の悩みや社会への疑問、憤りを募り、ぐるぐる考えたことを書き綴る連載の第2弾。一方通行ではなくみんなで協働的に考えられるようにしたいので、時に頷き、突っ込みながら読んでくださると嬉しいです。伶奈って誰?▶︎「当たり前」を疑わない人へ。「哲学」という“自由になる方法”を知った彼女が「答えも勝敗もない対話」が重要だと考える理由。前回の連載▶︎#001 「なんで複数の人と恋人関係になっちゃいけないの?」28歳の彼女が“社会の理不尽な恋愛ルール”に物申す。
他者を手段としてだけでなく同時に目的として扱え
「人と人の関係ではなく、モノとして見られているとさえ感じる」というKさんの気持ち、よくわかります。食に限った話ではなく、これもまた現代の病がもたらす恐怖感なのかもしれません。
18世紀に活躍したドイツの哲学者イマヌエル・カントは、すごぶるカッコイイ言葉を残しています。人間および一般にすべての理性的存在者は、目的自体として存在し、誰かの意志の任意な使用のための手段としてのみ存在するのではなく、自己自身の対する行為においても、また他のすべての理性的存在者に対する行為においても、常に同時に目的として見られねばならない。