#005 「愛と執着ってなにがちがうの?」この問いを哲学的に考えたら気づいた、現代人の恋愛に足りないこと | “社会の普通”に馴染めない人のための『REINAの哲学の部屋』
を必死に捉えようとしている。でもこの関係性だって、実は相手に共有されていない自分だけのものかもしれない。相手の意志が配慮されている感じはしません。あと、孤独が辛いから執着してしまうということもよくある。でも、相手はわたしの孤独解消の手段なんかじゃない。人格だ、人格。これら執着に共通するのは、世界が自分のものになってしまっている、他者不在の自己愛だということ。「あなたがいないと生きられない」みたいな、他者を自己に還元してしまう、依存だ。
自戒を込めて、他者と世界はお前のものじゃねえよ、と言いたくなる。そういう意味では、愛と執着をちゃんと分ける必要はある気がします。
いや、もっと相手に執着したら?
でもそのうえで(←これ大事)、執着なんてし合わないで「あなたの好きにして」も、なんか違う気がする。束縛しちゃだめ、所有欲は罪だ、みたいな恋愛観って一見正しいけれど欺瞞的だとも思います。前提に「人間ひとりで生きられる」的な、行き過ぎた個人主義が潜んでいる気がするから。18世紀に活躍したドイツの哲学者イマヌエル・カントは、「自律」と「他律」を分けて、「大人だったら自律して理性的に生きろ」と言います。カントの世界観では、関係性や他者よりも「自己」