#005 「愛と執着ってなにがちがうの?」この問いを哲学的に考えたら気づいた、現代人の恋愛に足りないこと | “社会の普通”に馴染めない人のための『REINAの哲学の部屋』
が先立っていて、自律した大人たちがそれぞれ理性的に結びついている。イメージは、きちんとした大人同士の恋愛。(カント研究者たち、雑な解釈で本当にすみません)でも、わたしたちは本当にそういう世界で生きているのでしょうか。そういう人間像を理想としているのでしょうか。わたしは、自律した個人が点在しているのではなく、網の目のなかにすでに人間は存在してしまっている、つまりネットワーク的な関係性を持ってしまっていると思います。そして、この世界や存在はすでに「ある」ものではなく、「つくっていく」動的なものだとも思います。人間関係は、乾いた砂のようにサラサラしたものではない。ここは、誰かがいるからこそ生きていける世界。
だからといってベタベタだけでも自己愛に回収される執着ごっごでもない。孤独だし、孤独じゃないし。誰でもいいようで、誰でもよくないし。なんか言ってそうで、何も言ってない…?いや、そうなんだけど、その揺れ動きのなかで、どうしようもなさのなかで、ひとは生きているのだなあ、と思うのです。わたしの敬愛する20世紀ドイツの実存哲学者、カール・ヤスパースがこんなことを言っています。
私自身であることは孤独だということである。