電卓事業の歴史と今後の向かう先を探る - キヤノン、初の電卓「キヤノーラ130」の発売から50年の節目
1971年には1年間に174モデル、1972年には201モデルが発売されたという。
「電卓を販売する新たなチャネル開拓に成功したことや、コスト競争力において他社を凌駕した点、さらに海外展開においても、計算結果をプリント可能な卓上プリンタ機能の搭載などにより圧倒的なシェアを獲得したことが、キヤノンが生き残ることができた要因だ」と、岡本氏は当時を分析する。
キヤノンは1992年にキヤノン電産香港(CEBM)を設立し、電卓を担当していた事業部をまるごと香港に移転するという荒療治を行っている。コスト競争力を高めるために、日本国内で生産を行う体制から、中国での生産体制へと移行。約50人で新会社をスタートした。当時の社員数は約50人で、そのうち半数が日本人だったという。
「すべての機能を一カ所に集約することで、コストメリットや迅速な製品開発体制などを実現。アジア地域への展開にもメリットがある。
香港を中核拠点として60カ国へ販売している」という。
キヤノンでは、現在でもこの体制を維持。現在、キヤノン電産香港には約80人の社員が勤務。電卓の商品企画、開発、商品デザイン、マーケティングなどを行っている。