巨人Intelに挑め! - 1GHzを突破せよ (2) 「どうしてお前の発想はそう日本的なんだ?!」
ということは、特許などの法律問題に縛られることなく、革新的なアイディアでもって、技術的優位性を実現しIntelを打倒することを夢見ていたエンジニアにとって、AMDというのは理想的な開発Platformであり、唯一可能性を秘めた会社であったからである。しかも、創業者でありCEOのJerry SandersはIntelへの対抗心に燃えていた。捲土重来を期すエンジニアたちにとってAMDはまさに「マイクロプロセッサ界の梁山泊」だったのである。
○AMDの野心的なプラン
その時、私は定期的なマーケティングのMeetingのためにカリフォルニアのシリコンバレーの中心にあるAMD本社にいた。 正確な時期はあまり問題ではない、その出張が今でも記憶の中で鮮明なのは、それが私がK7プロジェクトについて初めて知った時期であったからだ。多分、AMDがK7のマイクロアーキテクチャを公表した1998年の一年位前の話だと思う。
私は社内の情報で、AMDのAustinでK6の次世代プロセッサ開発が進められていることを聞いていたので、USに出張の際に当時の私の上司であったMarketing VPのBen Anixterにそれとなく聞いてみた。