2016年2月22日 13:00
さよなら、「フィーレイ」 - 史上初の彗星着陸に挑んだ小さな探査機の物語 (1) ジョットからロゼッタ、フィーレイへ
を、続々とハレー彗星に向けて打ち上げた。米航空宇宙局(NASA)も別の目的で打ち上げた「ISEE-3/ICE」という衛星の軌道を変えて参加。世界各国の探査機がつらなってひとつの彗星を目指す姿から、通称「ハレー艦隊」とも呼ばれた。
とくにESAのジョットは、これらの探査機の中で最も彗星に接近するように飛行。1986年3月13、14日にかけて、最大約600kmまで肉薄した。ジョットは塵やガスを浴びたものの、あらかじめ装備されていた装甲板によって守られ、ハレー彗星の「核」と呼ばれる本体の部分を、つぶさに観測することに成功した。
このハレー艦隊による観測キャンペーンは大成功を収めた。たとえば彗星のことを「汚れた雪玉」と呼ぶのを聞いたことがある人は多いかもしれない。
彗星の核が何でできているのかは長年の謎で、1950年代に米国の天文学者フレッド・ホイップルが「彗星核は塵の混じった氷からできているのではないか」という説を提唱し、これをおもしろがった新聞記者が「汚れた雪玉」と名付けた。当初、この「汚れた雪玉」理論はあまり受け入れられなかったものの、ジョットをはじめとするハレー艦隊による観測でこの理論が正しさが証明されることになった。