昭和の残像 鉄道懐古写真 (49) 昭和の終焉とともに去った東急目蒲線グリーンの電車
時の官房長官・小渕恵三氏が、「平成」と書かれた台紙を出し、新しい元号を発表したのが、いまから23年前の1月7日。
翌日から新しい時代「平成」が始まりました。
その年の3月18日深夜、筆者は東急目蒲線(現・目黒線)目黒駅24時40分発、奥沢駅行終電車に乗車。
自宅がある途中駅では降りずに、わざわざ終点の奥沢駅まで乗り通しました。
なぜならこの日の終電車をもって、目蒲線、ひいては東急線上(営業線上)から、グリーンの3000系旧型車が引退となったからです。
「平成」がスタートした年に、またひとつ「昭和」の電車たちが消えて行きました……。
そこで、今回は目蒲線を走った懐かしの旧型車を、形式別にご覧頂きましょう。
1939(昭和14)年の製造当初、将来は路線を標準軌に改軌して京急に乗り入れる予定だったため、改軌が可能な長軸台車を履いていました。
しかし、改軌されることなく引退となりました。
目蒲線では、全22両が中間にサハやクハを挟んだ3両編成を組み活躍。
晩年には、数本が池上線に転属となりました。
1931(昭和6)年から50両が製造され、東急のルーツでもある目黒蒲田電鉄時代から、1989年の引退まで60年弱もの間活躍していました。