“世界三大美女”のひとり・楊貴妃は、8世紀に生きた中国唐代の皇妃。
当時の玄宗皇帝が寵愛(ちょうあい)しすぎたために安史の乱を引き起こした「傾国の美女」として知られている。
楊貴妃は結果的に、反乱の原因となった楊貴妃に恨みを抱いていた武将たちの画策により、自殺を強要されて死んだとされている。
ところが山口県長門(ながと)市には、その楊貴妃が戦乱を逃れて息絶え絶えに日本に流れ着いたという伝説が残されているのだ。
また、長門市にある「二尊院(にそういん)」には楊貴妃の墓まである。
日本へ逃亡したというスケールのでかい話がまことしやかに囁(ささや)かれているのは、反乱の後、楊貴妃の亡きがらが見つからなかったから。
そのため「死んだと思わせているだけで、実は替え玉だった」などという説が、今でも根強く残っているらしい。
ちなみに二尊院のご本尊は、玄宗皇帝が楊貴妃の死を悼んで贈ったものと伝わっている。
このように紹介すると、世界中にあまたあるいわゆる“眉唾”な話にしか思えないかもしれないが、長門市観光コンベンション協会に尋ねたところ、「前に長門市に研修に来た中国の学生が『中国では楊貴妃は日本で死んだことになっています』と言っていました」