2012年12月2日 15:30
【エンタメCOBS】「世界一」を集めるドバイの面白い話
――いわゆる「スパイスロード」の中にあったわけですね。
米田ディレクターそうです。1833年ごろアブダビから来た人がドバイの「クリーク」と呼ばれる三角州の地域に住みついて。当時は800人くらいの人口だったと言われています。
まだまだ小さい港町でした。19世紀はじめにイランの港が繁盛していたのですが、その仕事をドバイに持ってくることを考えたんですね。良い港を作って、人と仕事に来てもらう、そういうことを始めました。イラン人の多い地域は今に残って「バスタキア地区」となっています。
バスタク、というのはイランの地名なんですよ。現在につながる「誘致」を始めた最初だったかもしれません。
■「誘致」こそドバイを象徴する言葉
――誘致ですか。
米田ディレクター「誘致」はドバイを理解するキーワードです。例えば、ドバイを訪問する人は年間どのくらいの数になると思いますか?
――見当もつかないです。
米田ディレクター910万人です。3.11以前の日本を訪問した外国人が810万人ぐらいと言われています。埼玉県ぐらいの広さのドバイに年間910万人もの人がやって来るんです。
ドバイはそのために、世界一の超高層ビルを作ったりしています。