「恥」と聞いて、どんな印象を持つでしょうか。
絶対に人に知られたくないこと。できれば人に知られたくないこと。決して自らは話さないこと。「自分には何かが足りていない」という意識。
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私たちの中でこの「恥の意識」が引き出される要因は、文化の違い、性別の違い、そして個人の経験などによって差がありますが、恥はほぼすべての人間が感じるものと言われています。
恥は秘密にされることが多く、秘密であればあるほど心に影を落とします。
抱えている時間が長ければ長いほど恥の意識が増大し、悪循環になってしまいます。
「そうは言っても、自分が恥だと思っていることを、人に知られるなんて、とんでもない!」と、思うかもしれません。
しかしあなたのその心の中の秘密が「解放」され、聞き入れられ、共感されるならどうでしょうか?
実は恥の経験をシェアすることが、人間関係のつながりをより強く美しくする可能性を秘めているのです。
■「恥」について話すことのリスクとは?
私たち人間は、どんな時も誰かと「つながる」ことを求めている存在。
それは、他人との関係性が生きることの目的や意味を与えてくれる、つまり「生きる理由そのもの」なのです。
恥について話すことは、勇気が必要。
「このことを誰かに知られたら、人は私から離れていくのではないか」と、大きな不安や恐怖を覚えます。
しかしその秘密を一人で抱えているのは、つらく耐え難いもの。
「恥の意識」は、私たち人間を「勇気」と「恐怖」の間に住まわせます。
このジレンマを解消していく方法はあるのでしょうか。
■「恥」と「罪」の意識の違いを知ることが大切
まず、事実として、いつも頭の隅にとめておきたいのは、「恥」と「罪」の意識の違いです。
恥の意識は「私の存在自体が間違いなのだ」という考え方をさせます。その感覚は出口がなく感じられ、私たちの中で苦しみの感覚を増します。
一方で、罪の意識は「私の行動が間違っていた」という考え方。それは私の「存在」についてではなく、私のとった「行動」が良くない選択だった、ということになります。
そこには、確実に出口があり、そして次のステップを踏むことができます。
つまり、「今回は間違った選択だった。
だから、次回はそうではない選択をするのだ。」という前向きな姿勢です。
もちろん、罪の意識を感じる時も、決して体の感覚は心地よいものではありません。
しかし、「罪の意識で物事を捉える時、未来には違う選択肢があること、そして今より改善できることを、私たちは知っています。
そうすることの適応力は学んで手に入れていけるものです。
つまり何度失敗しても、やり直し改善していけるのだという事実に気がついている、ということです。
勇気を持って前進していくためには、恥の意識と罪の意識の違いを知って、自分の行動をありのまま観察し、常により良い選択をしていけることを知りましょう。
選択は常に自分の手中にあるということが分かると、生きることに心地よい自由を感じられるでしょう。
■安全な人と場所で話す、共感を得る。
恥について話すこともとても有効ですが、慎重にならなければならないことが一つあります。
それは、ジャッジメントなくあなたの話しを聞き、そして共感を持って受け入れてくれる、安全な相手と環境が必要ということ。
信頼できる友人や家族、または心理カウンセラーやセラピストなど自分が安全だと確信できる相手に、少しずつ話しましょう。
共感を得られる時、あなたの恥の意識の声が随分小さくなることに気づくでしょう。ひょっとしたら、消えてしまうこともあるかもしれません。
そうして得た心の軽さは、あなたがあなた自身のために勇気を出して得た経験です。誇りに思えることでしょう。