ミューラル 2025年春夏コレクション - 花、美しさの無意識
とも捉えてよい──と題された今季のミューラルは、エレガントでありながらも、その均整に蠢くような、ある種の奇妙さを湛えている。それはたとえば、アシンメトリックなフォルムに見て取れるだろう。ドレスやトップスは左右非対称に仕上げ、ギャザーを寄せたりドレープを孕ませたりすることで、ぴんと整った佇まいに息吹を吹きこむかのように、柔らかな動きをもたらす。
美しさが「seem(〜に見える)」であり、「be(〜である)」ではないのならば、そこには美に対する固定的な概念ではなく、むしろ美しさを捉える相対性が浮かびあがってくる。この両義性が、今季のミューラルの鍵となっているといえる。軽快なワンピースやシャツに広がる、抽象柄「のような」模様は、実はブロスフェルトの『芸術の原型』に収められた植物のモチーフからとったもの。あるいは、レザー「を思わせる」ブルゾンやベストは、サテンに加工を施すことで、光沢を引き立てたファブリックを用いている。
ところでなぜここで、美しさの両義性が浮かびあがってくるのだろう。
ブロスフェルトの『芸術の原型』では、肉眼とは異なるカメラのレンズを通して、自然の姿が捉えられる。そこでは、「人間によって意識を織りこまれた空間の代わりに、無意識が織りこまれた空間が立ち現れるのである」