2022年8月7日 16:12
喪失の悲しみを小脇に抱えながら、癒やしていくための『物語』を心に描く
翌日会ったときには、もう手を握り返してくれることはありませんでした。
亡くなった人を思うとき、なぜか空を見上げるものです。天に昇る。天国は空の上にある。そんなイメージがあるからでしょうか。
「肉体を離れた人の魂は素粒子となり、空気中に溶け込んでいるのではないか」
そんな解釈を聞いたことがあります。(もちろん『エビデンス』などありませんが)『千の風になって』の歌のように、風になって愛する人の元へ吹き渡っているのかもしれません。
喪失の悲しみを、人はさまざまな『物語』を心に描いて乗り越えていきます。「乗り越える」というのは違うでしょうか。
悲しみを小脇に抱えながら、癒していくための『物語』という方が言い得ているかもしれません。その中で私たちが見出していくのは愛なのではないか。
その愛によって、私たちは癒され、悲しみではない涙を流すことができるのではないか、と思うのです。
母が亡くなった後、あらゆるものに母の愛が宿っていることに気づきました。写真の中に、私という存在そのものの中に。
そして、6月に15歳のわんこを見送り、これ以上ないのではないかと思う喪失感の中で、『ただただ愛すること』『いつも一緒にいると感じること、信じること』『エゴを手放していくこと』……多くのことを学んでいます。