現代に藤原定家の歌を伝える「冷泉家」女将が語る邸宅売却危機
そうしたら……10億年単位のすごい額に。とてもじゃないけど払われへんと、途方に暮れましたよ」
ちょうどそのころ、冷泉家の家、土地を「売ってほしい」という具体的な申し出があった。
「それまで、きゅうきゅうとしながら家の存続のために働いてきた父も『さすがにもう無理や、売ったとしても、もうしょうがないのとちゃうか』と話していました」
すると、この話を聞きつけた京都府が「待った」をかけてきた。
「京都府の文化財保護課の担当者が訪ねてきて。『重要文化財に指定したいので、調査させてほしい』という申し出でした。もちろん、家のしきたりに反することで、抵抗はありましたが、『どうせ売るしかないんやから、いっぺん見さしたったらどうや?』いう話になったんです」
当主以外の立ち入りを長年拒んできた冷泉家の御文庫に’80年春、学術調査の手が入った。両親が立ち会い、貴実子さんも初めて蔵の内部に入った。調査を担当したのは平安博物館(現・京都文化博物館)の館長や研究者たち。
そこに、朝日新聞京都支局の記者も同行していた。
それから数日後の4月4日。朝刊を手に取った貴実子さんは目が点になった。全国紙の一面トップにこんな大見出しが踊っていた。