桂文枝 紫綬褒章、園遊会で思い浮かんだのは「母の言葉」
それと、食べるときくちゃくちゃ言わさないで。お前は、いつか、天皇陛下さまの前で食事するときが来るかもしれんのやから--」
高校に進学した文枝さんは、同級生と漫才コンビを結成。そして関西大学に入学したとき、1枚のチラシを手にする。
「国文学部が主催する『桂米朝独演会』の案内でした。担当教授が、そのイベントを機に落語研究会を立ち上げるタイミングだったんです。その名も『落語大学』。私は『浪漫亭ちっく』と名乗り、2年時に“二代目学長”に就任しました」
落語の魅力にとりつかれた文枝さんは大学卒業後、就職はせず、落語家の門をたたくことを決めた。師匠となる故・桂小文枝さんから出された入門条件は「親の了承」。
なかなか母に言い出せない文枝さんは「就職の面接があるから、人事部長に会って」と嘘をついて連れ出した。
しかし、着物姿のまま現れた師匠を見た母は、「月謝のようなものはいりますか――。よろしくお願いします」。そう言って深々とお辞儀したという。
「母を騙したつもりでしたが、実際は、息子が就職せずに噺家になることに気づいていた。その晩、横で寝ている母を見ると、肩をふるわせながら泣いていました。子が手を離れる安心、それとは反対の寂しさ、先行きへの不安……複雑な感情が渦巻いていたんでしょう。