2020年10月27日、政府は『文化勲章』および『文化功労者』を発表。漫才の分野で初めて『文化功労者』に選ばれた西川きよしさんに、称賛の声が集まっています。西川きよし「みなさんのおかげです」『文化功労者』とは、日本の文化の発達に顕著な功績のある者を指す称号のことです。お笑い界での文化功労者は、2002年に選ばれた故・3代目桂米朝さん以来。漫才師、吉本興業所属のお笑いタレントとしては初の選出となります。西川さんは1964年に吉本新喜劇に入団し、今は亡き横山やすしさんに誘われて、1966年にお笑いコンビ『やすしきよし(通称:やすきよ)』を結成。その後徐々に頭角を現して数々のお笑い賞レースを総なめにし、漫才ブームの火付け役といわれるほどの国民的人気を博しました。選出後、大阪市内で会見を開いた西川さんは、次のように感想を述べています。「吉本新喜劇の通行人Aからスタートして、横山やすしさんにお誘いしていただいて、昭和41年6月から漫才の舞台に立たせていただきました。本当にお客さまに感謝いたします。みなさんのおかげです。これからも恥じないように謙虚に頑張っていきます」サンケイスポーツーより引用西川さんは「横山さんの仏壇にも報告した」といい、「やすしさんのおかげやと思っています。漫才に誘っていただいて、今は感謝以外ありません」と明かしています。また、西川さんは妻・西川ヘレンさんの話題になると号泣。結婚当時を思い出し、声を詰まらせつつ次のように語りました。「漫才をやるような人と一緒になるなんて、僕が家内側の人間だったら大反対したと思います」「一人の女性が一人の男に自分の人生捨てて、こんなにも尽くせるのかなといつも内心思っています。だから報告したときには普通の喜びようじゃなかったです」サンケイスポーツーより引用きっとつらく苦しい時期も、ヘレンさんが支えてくれていたのでしょう。最後は「小さなことからコツコツと頑張ってきてよかったです」と、自身のギャグを交えた言葉で明るく締めくくりました。西川さんの選出に対し、国民からは称賛の声が上がっています。・西川さんが文化功労者!おめでとうございます!・きっと天国の横山さんも喜んでいると思います。・漫才界から初めてなのですね!今見ても『やすきよ』の漫才は面白いです。これからも応援しています。2020年現在、テレビを始め、ラジオや動画配信など幅広く活躍するお笑いタレント。西川さんを始めとするお笑い界の人々が盛り上げてきたからこそ、私たちの文化に深く根付いたのかもしれません。今後も西川さんは、持ち前のセンスとギャグで人々を笑顔にしてくれるでしょう。[文・構成/grape編集部]
2020年10月27日鶴瓶噺の魅力を剣豪にたとえるなら、一見隙がありそうなのになぜか打ち込めない自然体ということ。「うぉりゃー」などと雄々しく叫ばずに「この間ね」と静かなトーンで、すっとしゃべり始める。「日常を描きたいんです」と語る笑福亭鶴瓶が、本番を2か月前に控えたこの日までにセレクトした噺の素は643個。まずは、噺の素との出会い方から話を聞いた。【チケット情報はこちら】「ふだんから、おもしろいことがうまれろなんて一切考えたことがないんです。正月なんて家族と一緒にぼーっとしていたいし、1年の目標を立てたこともないし(笑)。でもね、なぜか出会ってしまうんですよ。正月のハワイのホテルでも、ものすごくかわいらしい赤ちゃんが気になって。隣りのお母さんもキレイな人で、ふっとその横を見たらボクシング4階級制覇王者の井岡(一翔)やったんですよ。彼とは仲がいいから言えるんですけど“お前が1番目立ってないわ”って(笑)。自分でも不思議なんですけど、なにかが起きる時って、こっちが自然にしているよなぁとは思います」興味深い鶴瓶の休日だが、鶴瓶噺のトピックスは有名人から大阪のおばちゃんまでと幅広いのが魅力。さらにラストは、しゃべりと映像のコラボで締めくくられる。「今回のラストは、落語の世界の師弟や弟子同士の関係性がテーマになりそうです。落語の世界って、人間国宝にもなられた桂米朝師匠が、ご自身の師匠から言われた言葉がすべてだと思うんですけど“芸人になった以上、末路哀れは覚悟の前”ですから。なのに、いまの時代はパワハラってすぐに言われるでしょ?その言葉、落語家には無縁というか、ほっといてほしい(笑)。僕も師匠から怒られましたし、弟子には怒る。嵐の晩もあるから平和な1日がありがたいわけで、むしろ、思いっきり怒られたほうが向上するんです。うちにも怒られて1回クビになって戻した“べ瓶”という弟子がいます。戻す前は築地の市場に勤めたり観光バスの運転手をやったりしてたんですけど、そういう経験のおかげもあって、最近はかなりおもしろい。ただ、アホですけどね。関西弁で、最下位やビリのことを“べべ”と言うんですけど、“師匠、ひらがなで“べべ”ってどうですか?”なんて平気で言うんです。お前は誰の弟子やねんと。鶴瓶の瓶はいらんのかって(笑)」自然体で、すっとしゃべり始めてラストまで疾走する約2時間。剣豪的べしゃりの達人は、刀を抜く代わりに観客を笑顔にする。公演は4月1日(水)から5日(日)まで東京・世田谷パブリックシアターにて、4月15日(水)から19日(日)まで大阪・サンケイホールブリーゼにて上演。2月15日(土)午前10時より一般発売開始。取材・文:唐澤和也
2020年02月14日上方落語の巨星としてはもちろん、関西のバラエティ番組などでも朗らかな笑顔と聴き心地良い語り口で笑いを提供し、老若男女問わず親しまれた桂米朝。その五年祭を前に、米朝、そして彼とともに数々の弟子を育てあげた絹子夫人の人生模様を描く舞台『喜劇 なにわ夫婦八景 米朝・絹子とおもろい弟子たち』が2月1日(土)から16日(日)まで大阪松竹座で上演される。時は昭和29年。元OSSK(大阪松竹少女歌劇団)のスター・駒ひかること桑田絹子と、まるで事務員のような無名の落語家・桂米朝こと中川清は、時代の運命に導かれるように巡業中に出会う。ほどなく結婚し、3人の子宝に恵まれ、穏やかで順風満帆な夫婦生活……とは夢のまた夢。待っていたのは、一筋縄ではいかない超個性派な内弟子たちとの、てんやわんやな共同生活だった。さらには愛息子の明も、賑やかな弟子たちに後押しされて落語家になりたいと言い出し……。廓正子著『なにわ華がたり』を堤泰之の脚本・演出により舞台化する本作。米朝の背中を追い続けた息子・中川明の語りを軸に、花札のようにめくるめく季節を共に駆け抜けた夫婦と、“弟子”という名の息子たちとの愉快な家族物語が展開。平成8年、米朝の人間国宝認定式に共に向かうまでの夫婦の軌跡が描かれる。歌劇のスターとして一世を風靡した時代から、桂米朝を支える妻となるまでの中川絹子を演じるのは、宝塚歌劇団退団以降、ボーダレスな活躍を続ける真琴つばさ。そして物語の要となる桂米朝役には、ミュージカルから時代劇まで幅広い作品での演技が光る筧利夫。米朝夫婦の長男として生まれ、後に弟子となって父親と同じ道を進む中川明役には内博貴という豪華な顔ぶれが揃った。さらに、米朝の師匠である四代目米團治役には、弟子として長年米朝夫妻と共に暮らした桂ざこばが出演し、物語により深みを持たせる。ほか、松竹新喜劇出身の曽我廼家文童、元OSKトップスターの桜花昇ぼる、NHK連続テレビ小説『スカーレット』の“大久保さん”こと三林京子に、池乃めだか、西川忠志、今野浩喜、野田晋市とバラエティ豊かな面々が集結。上方落語を語る上で欠かせない桂米朝を、陰日向となり支え続けた絹子夫人の人生から、賑やかな米朝一門の日々を綴る舞台。これまで明かされることのなかった米朝の素顔や夫婦愛、親子愛を描くアナザーストーリーを堪能して、和やかな笑顔で劇場を後にしてほしい。文:伊藤由紀子
2020年01月31日大阪松竹座の2月公演『喜劇なにわ夫婦八景』の製作発表が12月12日、大阪市内で行われ、出演の真琴つばさ、筧利夫、内博貴、桂ざこばらが登壇した。本作は上方落語の巨星、桂米朝の知られざる素顔と弟子たちとの賑やかな共同生活を、妻・中川絹子の視点を軸に描くもの。廓正子著『なにわ華がたり』をもとに、脚本・演出の堤泰之により、新たな物語として舞台化する。冒頭、挨拶に立った米朝の息子、5代目桂米團治は、開口一番「感動しております」と感激のコメント。「喜劇 なにわ夫婦八景 米朝・絹子とおもろい弟子たち」チケット情報「まさか両親がお芝居になるとは、夢にも思いませんでした。絹子を演じる真琴つばささんと米朝を演じる筧利夫さんは、本人が乗り移ったようにそっくり。そして僕を演じてくださるのがジャニーズの内博貴さん。本人より数段男前の内さんが、三枚目の僕をどのように料理してくれるのか非常に楽しみです」。米朝の師匠で4代目桂米團治役には、兄弟子の桂ざこば。「先代の米團治は昭和25年に55歳で他界、いま生きてる僕らは誰も知らないのですが、ざこば兄さんは役を自分に引き付ける魔力がある方。きっと『こんな人やったんやろな』と教えてくださること請け合いです」と期待を寄せた。中川絹子役の真琴は、映像などで生前の絹子の様子を見聞きしたという。「はんなりとした関西弁が印象的で。時の勝負師でもあり、愛情と勝負に長けた女性だったと思います。夫と息子を愛し、何より関西の皆様に愛される舞台にしたい」と抱負を語る。筧は米朝について「多方面から観察して分析する、部長刑事のような部分があったのでは」と推測。ひとりで何役も演じ分け、演出も兼ねる落語の難しさにも触れ、「落語を極めた方なので、役者なんて容易だったはず。粗相のないよう勤めたい」と、偉大な先輩に敬意を表した。米團治役の内は生前ざこばに連れられ、米朝に挨拶する機会があったという。「ご縁を感じます。落語は未知の世界ですが、一つひとつ勉強しながら頑張りたい」と意欲を見せる。2年前に脳梗塞で倒れ、本作で芝居復帰するざこばは、「今があるのは師匠“ちゃーちゃん”とママのお陰」と感謝を述べる。「先代の米團治は相当頭のええ人やったと思います。これから勉強です。体調は万全やけど、台詞覚えがアカン。内君には会うなり(台詞が飛んだら)『頼むで!』と伝えてます」とユーモアたっぷりに場を沸かす。筧が「僕も師匠と同じ場面が多いんですけど」と不安を吐露すると、真琴がすかさず「内君が全員の台詞を覚えてくれるそうです」と無茶振り、最後は内が「任せてください!」と頼もしく応戦し、会見は爆笑の掛け合いで幕となった。公演は、2月1日(土)から16日(日)まで大阪松竹座にて上演。チケットは1月4日(土)10時より発売開始。取材・文:石橋法子
2019年12月18日NHK連続テレビ小説『スカーレット』で、戸田恵梨香演じる主人公・川原喜美子が女中として働いた下宿屋「荒木荘」。ここで、彼女の指南役として登場する古株の元女中・大久保のぶ子を演じている、女優の三林京子さん(68)。文楽の人間国宝・二代目桐竹勘十郎を父に持ち、往年の名女優・山田五十鈴に師事。同じく人間国宝で「上方落語中興の祖」と称された三代目桂米朝に、女性として初めて弟子入りし「桂すずめ」という名を許され高座デビューも。加えて日本舞踊、清元、三味線、鳴物、狂言、フラメンコ……と、武芸百般、いや“芸事百般のつわもの”、それが三林さんだ。もちろん、女優としても半世紀近いキャリアを誇る。連続テレビ小説には’85年の「いちばん太鼓」から今作まで、じつに8作品に出演。これは、役名のついた出演者としては歴代最多タイ記録だ。三林さんは’51年、大阪・住吉大社の真向かいにある産院で産声を上げた。当時、父は文楽の興行を一手に取り仕切っていた松竹から離れ、師匠の二代目桐竹紋十郎らと自主公演に活路を見いだそうとしていた。だが、家族と多くの弟子を養うため、家計はいつも火の車だった。「家中の物、質屋に入れてました。桜井さんっていう質屋さんが家に来ると、お弟子さんたちが押入れ勝手に開けて質草になりそうなもの、探すんです。『これ当分いらんやろ』言うて。すると母が『ちょっと、それあかん』と止めたり。私は子どもでしたから、質屋さんなんて知らんけど、桜井のおっちゃんが来はったら、お鍋が食べられたから。『今日はごちそうや』と喜んでました(笑)」三林さんは父の勧めで小学4年からNHKの大阪放送児童劇団に入団。一方、中学1年の夏休みに、歌舞伎の若手役者の自主公演を手伝う機会にも恵まれた。ここで、芝居の面白さに改めて目覚めた。「やっぱり文楽と違って、生の人間がやる面白さに引かれたんですかね。私が魅力を感じたのは演者ではなくて裏方のほう」業界に知己の多い父に相談。しかし、父の返事は冷たかった。「女にできる裏方仕事なんて、あらへんで」たしかに、歌舞伎公演の手伝いのときも、舞台の上はもちろん、舞台裏も男性ばかり。女性は三林さん、ただ一人だった。「いまでこそ、劇場もテレビ局も、女性スタッフは大勢いてますけど、当時は本当にいてはらへんかったから。女の人にはでけへん仕事なんかな、と。それこそ、スカーレットの喜美子ちゃんみたいに『女やけど、私これやりたい!』って気持ちにもなれんかった」こうして当初、しかたなしに選んだ道が「女優」だった。「『ほな、芝居やりたい』と言ったら、父が『誰かに弟子入りするんやったらええ』と。そして『誰がええ?』と聞かれて、私は『山田五十鈴がええ』と。子どものくせにほんま、偉そうにね(笑)」東京で暮らす名女優のもとへ、父と頭を下げに行くと「私は弟子をとりません、でも遊びにいらっしゃい」と言ってもらえた。児童劇団を卒団した中学2年から高校卒業まで、学校の長い休みのたびに東京に通い、住み込みで山田の付き人見習いに精を出した。高校卒業間近、山田が勧めた東宝の新人養成所に入る準備を進めていたところ、三林さんは思わぬ僥倖を得る。現代演劇の礎を築いた一人とうたわれた演出家・菊田一夫に見いだされたのだ。「養成所で芝居は上達しない、客前で恥をかくのがいちばんの勉強」彼のこの言葉に背中を押され、‘70年、下積みを経験せぬまま舞台『女坂』でデビュー。そして’75年。女優・三林京子として初のテレビドラマに。それがNHKの大河ドラマ『元禄太平記』だった。「間者・おとき」を好演し、ゴールデン・アロー賞放送新人賞も獲得したーー。「米朝師匠とはね、だいぶ古いですよ。私が物心ついたころ、父に手を引かれて師匠の楽屋にうかがったりして。『米朝のおっちゃん』呼んでましたからね」以来、公私にわたって親交があった米朝一門が総出演する芝居が、京都の南座で上演され、三林さんも助演することに。’97年の夏のことだった。「落語家の皆さんは内弟子時代に日舞や長唄、鳴物を稽古して、舞台で芝居もする。それなのに女優の私が落語がでけへんのは悔しい、そう思ったんです。それで、思い切って師匠に『落語を教えてほしい』と頼み込んだんです」すると米朝は、おもむろにこう言った。「はじめにな、『叩き』というものをするねん」叩きとは見台を張り扇と小拍子でリズムよく叩きながらまくしたてる、上方落語の前座噺のこと。「これが難しい。よう叩けたと思うたら口が回らんし、うまいことしゃべれたと思うたら叩けてない。皆は10代でやるから覚えられますけど、当時私はもう47歳で(苦笑)。それで、親しかった(桂)ざこば兄ちゃんに相談したら『そらあ、ちゃあちゃん(米朝のこと)、根を上げさせようとしてんねん』と。それ聞いて『なにくそ!』と、必死に覚えましたよ」どうにかこうにか習得し、米朝に披露すると、目を丸くして驚き、こう褒めてくれた。「よう覚えたなぁ、40過ぎのおばはんができるもんやないで」これで、まずはその直後に催された一門会への出演を許された。「ほかの皆さんが落語の枕に私をネタにして。『落語家やりたい、言うてはりまんねん』『皆さんで名前、考えたっとくなはれ』と」上演後、客席から集められたアンケート用紙に、三林さんの名前候補があまた、書き込まれていた。「打ち上げの席で、それを読み上げられて。『桂餅肌、桂餅つき……なんや、餅がつくんが多いな』と。私は『誰が餅や!』と突っ込みましたけど(笑)。そしたら、米朝師匠がボソッと言わはったんです。『すずめはどうかな?』って。それ聞いた皆の顔色が変わりはって。あとで知ったんですけど、『すずめを襲名したい』言うて許されんかった弟子が何人もいたそうです。『米朝の米を食うゲンのええ鳥や、みごと、米食うてみい』いうぐらい、ええ名前なんですって」女性の弟子を一切とらないことで知られた師匠が「すずめ」を持ち出したことで、弟子たちは「まさか、ちゃあちゃん、本気やで」となったのだ。「師匠が帰りはって、残った皆さんと飲みに行った席で、ざこば兄ちゃんから『女なんて、絶対あかん!』言われて。私も悔しいから『絶対、ちゃんとやります!』って、そらもうけんか腰の言い合いに」すると、ざこばは同席した兄弟弟子全員に、こう聞いた。「こいつ、妹弟子と認めるやつ、立ってくれ」やおら、全員が立ち上がった。「いやあ、うれしかったですよ。ほなら、ざこば兄ちゃんも『よし、わかった。そしたら手打ちにしたる』って言うてくれはって」米朝はそのやり取りを聞いて「ざこばが、そない言うたんやったら大丈夫やな」と話したという。「師匠は『落語はあんたの本業にも役立つやろ。弟子として認めます』と、弟子入りを許してくれました。でも、兄弟子たちには、よう嫌み言われました。『これまでかわいらしい女学生とかいっぱい来ても全部断ってきたのに、なんで今さら、あいつやねん』って(笑)」男性中心の焼き物の世界に果敢に飛び込んでいく『スカーレット』の喜美子と、どこか重なり合う三林さんの姿。思えば、父が極めた文楽も、憧れた芝居の裏方も、女性であることを理由に足を踏み入れることすら許されなかった。いざ、桂すずめとして高座に上がるようになると、噺の途中で頭が真っ白になるという、女優ではありえなかった恐ろしい失敗も経験した。それでも「落語は座布団1枚の宇宙」と楽しそうに話す。「自分一人で、座布団の上、お扇子と手拭いだけを使って表現する。それだけでお客さんをくぎ付けにせなあかん。こんなしんどくて、怖いことない。でも、できたら、こんなすごいこともないから」本業でもないのに、そこまで真剣に取り組むのにはわけがあった。「私が芝居始めても、父からは何のアドバイスもナシ。ただ1つ、言われたのが『好きなことせい。ただ、まっすぐ行ったら面白うない。できるだけ寄り道、回り道したほうがええ』と。その言葉は私の耳にずっと残っていて。どうせ寄り道するなら徹底的にせな面白うない、そう思ってるんです」助言を守り、先述のとおり多くの芸事に真剣に向き合ってきた。「落語の稽古、怖かったですよ。だって、たばこくわえて苦虫かみ潰したような顔した米朝師匠の前で、落語せなあかんのですよ。しびれますよ。でもね、その師匠の顔が一瞬でもフッとゆるんだら『やった!』と思います。それぐらい真剣にやらな、あかんのです」本気で向かい合う師弟の間に、瞬間的に流れる柔らかな空気ーー。これ、まさに大久保さんと喜美子、そのものではないか。「そうなんですよ。まして喜美子ちゃんなんて、安いとはいえ給金もろうてたでしょ、大久保さん、もっと怖くてええぐらいや(笑)」
2019年11月25日「母は、この3月で98歳になります――もうすぐ白寿。ただ、いまは介護施設にいて、私が何かを囁きかけても、私のことを、息子だとわかってくれることはないんです」こう話すのは、落語家の六代・桂文枝さん(75)。’66年に三代目・桂小文枝に入門、「桂三枝」としてデビューし、芸歴は53年目に突入している。ライフワークである「創作落語」は、現在までに290にのぼる作品を手がけてきた。日曜昼の『新婚さんいらっしゃい!』(テレビ朝日系)ではユーモアあふれる司会として知られているが、この番組は「同一司会者によるトーク番組の最長放送」として、ギネス世界記録に認定されている。そんな文枝さんは、’18年10月、初の自伝『風に戦いで』を出版。「母」について公で語るのは、この自伝が初めて。文枝さんがいまだからすべてを話せる、“母への恩讐”とは--。「旧陸軍にいた父は持病の肺結核を悪化させていて、私が生後11カ月のときに亡くなりました。私を抱えて父の実家を出た母は、羽振りのよかった叔父の屋敷にお世話になることにしました」しかし5歳のとき、そんな生活が一変する。「大阪市内の小さな製材所の3畳一間に、母子2人で暮らすように。母は、叔父の知人だった製材所の社長さんに雇ってもらい、事務作業とまかないの仕事をするようになりました」だが数年後、製材所は材木街を襲った大火事で全焼してしまう。今度は母の兄の家に身を寄せることになった。「おっちゃん(母の兄)の家は本当に粗末で、いわゆるバラックでした。そのころ母は、月曜日から金曜日まで料理旅館に住み込みで働き、土曜日になると帰ってくる生活でした」当時母は30代前半。文枝さんはそのころの母をこう振り返る。「小学生の私と2人で暮らそうと思えば、安アパートを1部屋借りて住むこともできたはずですが、母はそうしなかった。おっちゃんにわが子を預けて、“女の人生”を謳歌したい時期でもあったんでしょう。週末の夜遅くに帰ってくる母は化粧や酒のにおいがして、すごく嫌だった記憶がある。母を遠くに感じたものです。その後、母は再婚するのですが、私は最後まで猛反対しました。彼女からすれば、“母ひとり子ひとり”の人生に疲れたのかもしれませんが、当時の私には納得できませんでしたね」一度も「勉強しなさい」とは言わなかった母が唯一厳しくしつけたことは、「箸の持ち方」だった。「ちゃんと持ちなさい。それと、食べるときくちゃくちゃ言わさないで。お前は、いつか、天皇陛下さまの前で食事するときが来るかもしれんのやから--」高校に進学した文枝さんは、同級生と漫才コンビを結成。そして関西大学に入学したとき、1枚のチラシを手にする。「国文学部が主催する『桂米朝独演会』の案内でした。担当教授が、そのイベントを機に落語研究会を立ち上げるタイミングだったんです。その名も『落語大学』。私は『浪漫亭ちっく』と名乗り、2年時に“二代目学長”に就任しました」落語の魅力にとりつかれた文枝さんは大学卒業後、就職はせず、落語家の門をたたくことを決めた。師匠となる故・桂小文枝さんから出された入門条件は「親の了承」。なかなか母に言い出せない文枝さんは「就職の面接があるから、人事部長に会って」と嘘をついて連れ出した。しかし、着物姿のまま現れた師匠を見た母は、「月謝のようなものはいりますか――。よろしくお願いします」。そう言って深々とお辞儀したという。「母を騙したつもりでしたが、実際は、息子が就職せずに噺家になることに気づいていた。その晩、横で寝ている母を見ると、肩をふるわせながら泣いていました。子が手を離れる安心、それとは反対の寂しさ、先行きへの不安……複雑な感情が渦巻いていたんでしょう。あの晩の、母の背中が目に焼きついて、『どんなことがあってもやめてはいけない』と思いました」「桂三枝」としてデビューした文枝さんは、1年目の’67年にラジオ番組『歌え!MBSヤングタウン』の司会で大ブレーク。『ヤングおー!おー!』『パンチDEデート』などの人気番組を持ち“テレビの顔”となっていった。私生活では、ラジオ大阪『ヒットでヒットバチョンといこう!』のアシスタントを務めていた真由美さんと’72年に結婚。文枝さんは28歳、真由美さんは19歳の女子大生だった。そして’03年、上方落語協会会長に就任、’06年11月には紫綬褒章を受章した。翌秋の園遊会でも、天皇皇后両陛下に拝謁。そのときの思いを文枝さんは目を細めて語る。「『ついにこの日が来たか』と、しみじみと思ったものです。食事作法をしつけるときの、母の口癖でしたからね、『天皇陛下にお会いするときのために』は。まだかくしゃくとしていた86歳の母に、園遊会の記念でいただいた和菓子を差し出すと、ただ無言で、涙を流して喜んでいた。64年生きてきたなかで、最大の親孝行ができた瞬間でした――」
2019年03月04日桂吉弥、桂春蝶、桂かい枝による落語会『くしかつの会』が3月5日(月)、大阪・ABCホールで開催される。2度目の開催となる今回の公演に向けて、3人が意気込みを語った。「吉弥・春蝶・かい枝 くしかつの会」チケット情報桂吉朝に入門し、桂米朝のもとで内弟子期間を過ごした吉弥、三代目桂春團治に入門した春蝶、五代目桂文枝に入門したかい枝。3人は1994年に入門した同期であり、良きライバルで「今後の上方落語を引っ張っていく存在になれるように」と、本公演が昨年初開催された。昨年は、吉弥が『百年目』、春蝶が『芝浜』、かい枝が『三十石夢の通い路』と、東西を代表する大ネタを披露した。今回も「大ネタを堪能してもらおう」と、吉弥が『地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)』、春蝶が『たちぎれ』、かい枝が『子はかすがい』を口演する。『地獄八景亡者戯』は、時事ネタを織り交ぜて展開する“あの世”の話。「大ネタではありますが、他愛もない、今どきのお話。3人とも“四天王”といわれる人のもとで弟子を経験し、そのエッセンスを伝えるのは僕ら世代じゃないかなと。僕らが素敵やなと思うところを、初めて聴く方にもいかに分かってもらえるか、そういうことを考えながらやっていかなあかんなと思っています」と意気込む吉弥。若旦那と芸妓の悲恋を描いた『たちぎれ』について春蝶は「いつでも繋がれる今の時代、会えない哀しさを表現できるのは、実は古典なんじゃないかなと思う。『君の名は。』で心動かされた方は、ぜひ『たちぎれ』を聴きにきていただきたいですね(笑)」。また親子の情愛を描いた『子はかすがい』を披露するかい枝は「今回は人情噺。親子にまつわる事件が多い中、いつの時代でも通じるものがあると思います」とコメント。前回公演では「初めて落語を聴きに来られた方も多かったけど、喜んでいただけた」と、3人は手応えを感じた様子。刺激し合える3人だからこそ、成功に繋がった。「いつも意識するのはお客さんだけ。でもこの同期の会はふたりに負けたくない気持ちも生まれるので、疲れました(笑)」とかい枝。また春蝶は「世阿弥の『初心忘るべからず』という言葉は、“初心(=未熟な頃)に戻ってはいけないけど、たまには戻ることも大切”という意味。このメンバーとやるとものすごく緊張するし、地に足がついていない状態になる。そういう状況を年に一度でも提供してくれるこのふたりと、僕は老後まで続けていきたいなと思うんです」としみじみ語った。チケットは発売中。
2018年02月22日芸暦四十周年を迎えた桂雀々。上方落語の雄が明治座に初登場し、記念の公演を開く。昼の部は「地獄八景亡者戯二〇一八」を披露し、夜の部は「雀々と落語天国愉快戯」と銘打って、東京の落語家仲間も登場。6年前から東京に拠点を移し、関東でも着実にファンを増やしているその実力と上方ならではの楽しさが味わえる、絶好の機会となりそうだ。桂雀々 芸暦四十周年記念公演 チケット情報天才と呼ばれた故・桂枝雀に入門して今年で40年。師匠の芸をしっかりと受け継ぎながら、桂雀々は独自のパワーのある笑いを作り上げてきた。「大阪以上に大都会で、いろんなところから才能が集まっている東京で勝負してみたい」と、拠点を東京に移したのが51歳のとき。「粋な言葉遣いでいなせでカッコいい江戸落語のなかに、とにかく笑ってもらうことが大事な上方落語がポンと入り、衝撃があったみたいです。言ってみれば僕だけ飛び出す絵本のような(笑)。でも、それを楽しんでくださる方がだんだんと増えてきた。本当にありがたいことです」。伝わりづらい上方独自の言葉を変える工夫もしながら、でも、肝心の笑いは徹底的に。「上方落語には、大阪で言うところの、“あほな”登場人物がいっぱい出てくるんです。そして、まさかこんな人おらへんやろと思うような人が昔もいたんやな、人間って変わらへんなというところを面白がっていただく。そのキャラクターをどう味付けするか、どう可愛げのある人物にしていくかが、上方落語の要じゃないかなと思いますね」。四十周年記念公演に選んだ「地獄八景亡者戯」は、その上方落語の魅力がまさしく堪能できる演目だろう。サバにあたって突然死んでしまった男が冥土の旅の途中でさまざまな亡者に出会い、鬼や閻魔大王など地獄の番人たちも登場する。大師匠である故・桂米朝が作り上げた1時間を超す大ネタだ。明治座では、さらに、「明治座の舞台機構も存分に使って、あの世を体感してもらいたい」というのだから、楽しさ倍増だ。夜の部は「好きな噺家さんに集まっていただいて、憧れていた口上をやらせていただきます。ただし、ずっと頭を下げて皆が話すのを聞いている普通の口上とは違って、僕もどんどん喋り倒しますから(笑)」と、こちらも期待せずにはいられない。自らを「笑いの添乗員」という雀々。気持ちよくその世界に引っ張っていける自信があるからこその言葉だろう。観る者はただ身を委ねていればいいだけだ。公演は2018年2月18日(日)。チケットの一般発売は11月12日(日)午前10時より。なお、チケットぴあではインターネット先行を実施中、11月11日(土)午後11時30分まで受付。取材・文:大内弓子
2017年11月09日1994年に入門した同期、桂吉弥、桂春蝶、桂かい枝が『吉弥・春蝶・かい枝 くしかつの会』を3月29日(水)、大阪・ABCホールで開催する。『くしかつの会』とは、“94年から活動を始めた”ことにちなんで命名した。「吉弥・春蝶・かい枝 くしかつの会」チケット情報吉弥は桂吉朝に入門し、桂米朝の下で内弟子期間を過ごした。春蝶は三代目桂春團治の下へ、かい枝は先代の五代目桂文枝の下へ入門。3人とも上方落語四天王と呼ばれる噺家に育てられた。「師匠から教わったこととか、何となく共通する部分のある3人です。何か一緒にやりたいと話していた数年後、一門や所属事務所の垣根を越えてこういう会をやらせてもらえて。我々3人が今後の上方落語を引っ張っていく存在になれるよう、そこを目指す会だと思っています」とかい枝。現在、東京に拠点を移し、アウェイで上方落語の発展に心血を注いでいる春蝶。東京では今、若手から中堅を中心にした落語ブームが再び起こっている。「東京でやっていて思うのは、上方の落語家は向こうに全然負けていなくて、倍ぐらいの力がある人が多い。でも、残念ながら東京の宣伝力が関西の10倍はあるんです。ということは、力が倍あっても、東京の宣伝力は10倍なので、結果的には5倍負けているんですよね。なので、何とかして大阪でも様々なブームを作っていきたい」と、『くしかつの会』がその先駆けになればと意気込む。ネタは吉弥が「百年目」、春蝶が「芝浜」、かい枝が「三十石夢の通い路」といずれも東西を代表する大ネタだ。春蝶が口演する「芝浜」は東京の噺。それを春蝶は上方から江戸に引っ越してきた魚屋夫婦という設定に置き換えた。「自分の持っている古典の大ネタとして、一番聞いてほしかったもの。上方の噺家が東京の代表的なネタをやったら、こんなふうになるんやでという、大阪のイズムみたいなものも聞いてほしい」と春蝶。一方、「三十石夢の通い路」を演じるかい枝は「ふたりは重厚感のある噺なので、その間をスルスルと行くような、“楽しかったな、面白かったな”と思ってもらえたらと思って」選んだ。ネタ順は当日、舞台上で決定する。ネタの順番によっても聞き応えが異なるだけに、当日が楽しみだ。これからの上方落語界の担い手と嘱望される、名実ともに磐石の3人が集った。新たな時代の潮流をその目でぜひ確かめてほしい。チケットは発売中。
2017年03月09日ぴあ関西支社創立30周年を記念した、音楽×演劇×寄席の複合企画イベント“温故知新”が、12月18日(金)・19日(土)・20日(日)の3日間にわたり、大阪・梅田HEP HALLにて行われる。「ぴあ関西支社30周年企画」チケット情報初日の12月18日(金)は、『PIA IDOL ASOCCIATION ~P.I.A アイドル同盟~』と題して、今や群雄割拠のアイドルシーンで活躍する注目の4組が出演。神戸の地域活性化アイドルユニットとして生まれ、このアイドル戦国時代に全国区で人気を上昇させているオール神戸っ娘の代表選抜KOBerrieS♪や、日本初のアイドル学科がある大阪スクールオブミュージック高等専修学校の生徒で結成された、リアル女子高生アイドル学科SO.ON project。さらに、店舗内で流れるテーマソング『一大告白タイム』でもおなじみ、ダイコクドラッグのイメージガールユニットとして生まれたDDプリンセスに加え、トークも重視の“歌って踊って喋れるアイドル”、大阪ミナミのド真ん中TSUTAYA EBISUBASHIを拠点に、ミナミの“カワイイ”を全国に発信すべく活動するminAminが登場。関西アイドルシーンのキラ星をピックアップしながら、初体験でも楽しめるキャッチーさと親しみやすさを兼ね備えたラインナップで送る。2日目となる12月19日(土)は、『ヨーロッパ企画の関西特捜最前線―劇団員はみた!―』を開催。5年前のぴあ関西支社25周年でもお祝いに駆けつけたヨーロッパ企画が再び登場する。監修に上田誠、構成・演出に西垣匡基と大歳倫弘、永野宗典、本多力、西村直子、上田誠、黒木正浩と、男肉 du Soleil、他が出演。舞台でも交流のあるヨーロッパ企画と男肉が、どんなステージで楽しませてくれるのか!?それは当日のお楽しみ。そして、千秋楽の12月20日(日)は『ぴあ寄席』を開催。〈伝統芸能の逆襲編〉と題した昼13:00公演は、前代未聞のパペット落語で世界を飛び回る笑福亭鶴笑、英語落語でアメリカツアーも成功裏に収めた桂かい枝、ニューヨーク公演も好評を博した浪曲師の春野恵子が登場。いずれも伝統芸能の醍醐味と、その枠を大胆に取り払ったダイナミックな表現で笑わせる猛者たちだ。そして〈伝統芸能の継承編〉と題した夕方17:00公演は、桂雀々が登場。故桂米朝の十八番で知られる『地獄八景亡者戯』を熱演する。地獄に落ちた男が水先案内人となってお届けする、面白おかしい地獄巡り。大汗かいての熱い高座が人気の雀々、この“地獄”をどう見せるのか、こちらも期待して欲しい。チケットは予定枚数終了の19日(土)公演を除き発売中。
2015年11月30日今回いただいたテーマは「老後」である。はっきり言って、漫画家という職業に関係なく暗黒のビジョンしか思い浮かばないので、できるだけ考えないようにしている話である。私がそう思っているだけでなく、今や多くのメディアが、貴様らの老後はデスロードだ、お先は真っ暗であると報道しているのだ。○老後は地獄のデスロード…?最近「老後破産」というテーマで組まれたテレビ番組を良く目にする。タイトル通り、バラエティ豊かな破産した老人が出てくるという、「とにかくブルーになりたい」という人以外は見ない方が良い内容だ。他人の不幸を米以上の主食にしている、いわば「不幸ソムリエ」たる私だが、子どもや老人の不幸は酢に匹敵するほどすっぱくなった古いワインのようなもので、テイスティングの対象外となる。あくまで、健康で働き盛りの癖にギャンブルとかして困っている人が好きなのだ。しかもこういう番組に出てくる老人は、若い頃散財しまくって今困っているというわけでは決してない。確かに見通しは若干甘かったのかもしれないが、普通に暮らしていたらこうなった、もしくは突発的不幸で老後の計画が狂ったという人がほとんどなのである。つまり我々の老後は、贅沢していたら死ぬ、普通にしていても死ぬ、何か起こったら死ぬ、というDead or DEAD or Die、モヒカン頭の悪漢がジープで走り回ってなくても、かなり世紀末な世界観となる。そういう番組ではそうならないためにどうするかを示してくれる場合も多いが、ほとんどの場合、結論は「働けるうちに老後の資金をためておけ」である。具体的にいくらぐらい貯めれば良いかという金額はメディアによってまちまちだが、夫婦二人で大体3000万円から5000万円ぐらいというのが相場だ。もうこの時点で、テレビを爆破してpixivを見に行ってしまいたくなる額面である。○「明るい老後」を無理矢理イマジンするこのように暗い老後にまつわる事ならいくらでもイマジンできるのだが、逆に「明るい老後」というのは一体なんなのだろう。ステレオタイプ的に考えると、息子夫婦あたりと同居し、孫の面倒を見ながら畑をいじったり、ゲートボールをしたりする感じであろうか。しかし、私はそういう例を見るたびに「嫌だぜ、そんな生活」と思うのである。現在夫と二人暮らしだが、私はほとんど部屋から出てこないので、お互い多くの時間を一人で過ごしている。それがベストなのだ。それなのに、突然嫁や孫に囲まれたら、かえって病むに決まっている。それに、現時点でネット漬けの人間が老後になって突然畑に目覚めるとも思えないし、還暦をすぎてゲートボールチームに入れるようなコミュニケーション能力が開花する、ということもないだろう。開花するなら今してほしい。しかし、何せ老いているのだ。一人ではできないことも増えるだろう。どれだけ一人が好きで孤独に強かろうと、いつかは他人の世話が必要となるのだ。それに、子世代だって自分の生活で手一杯で親の面倒が見られるかはわからないし、むしろ面倒を見てもらうつもりだった子どもが、親の年金を食いつぶす穀潰しに成長してしまうこともある。そのせいか、年をとっても身内の世話にはなりたくない、介護施設に入ると思っている人も多いようだ。しかし、その介護施設も数が足りないそうだし、さらにそこで起こる虐待など、とにかく人をブルーにさせるニュースに事欠かない。介護施設もピンキリなようだが、やはり良いところに入ろうとすると数千万の準備がいるようだ。ここまで来ると、再度pixivを見に行ってしまうのもやむなしといったところだろう。前に桂米朝師匠が「芸事をやる人間は末路哀れは覚悟のうち」と言っていたという話をしたが、今では芸をやっていなくても「末路哀れ」を覚悟しておかなければいけないのである。とはいえ、ここで「どうせ末路哀れなら今を謳歌するぜ」という方向に行くと末路の哀れ度が増す。やはり、そんなに哀れでない末路をたどるためには、若い頃我慢して金を貯めろと言う話になってしまう。このように考えれば考えるほど暗い想像しか出来ないのだが、逆に「明るい老後」の方が「円満離婚」ぐらい無理がある言葉のような気がする。少なくとも肉体的には衰えていくのだから、明るくはないだろうと思うのだ。老後破産だ何だとむやみに国民の不安を煽るのは良くないが、明るい老後、悠々自適だのと言って油断させるのもまた良くない。将来に危機感を持ち、備えることがやはり大切なのだ。つまりは、哀れじゃない末路を目指して今から5000万円貯めておけば良いということである。しかし、問題が解決できない原因の大半は「解決策がわからない」のではなく、「方法はわかっているが実行できない」という点にあるのだ。「5000万の貯金」に代わる実行可能な解決策を、なんとか老後を迎える前に考えたいと思う。とりあえず今日はピクシブで推しキャラの18禁創作を読むことにしよう。老後も大切だが、今を楽しむことも大切なのである。カレー沢薫漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「負ける技術」(2014年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。連載作品「やわらかい。課長起田総司」単行本は1~2巻まで発売中、9月18日よりWeb連載漫画「ヤリへん」を公開開始。「兼業まんがクリエイター・カレー沢薫の日常と退廃」、次回は10月27日(火)昼掲載予定です。
2015年10月20日今回は、日本の伝統芸能の中でも特に言葉が重要になる「落語」についてのアンケートです。日本で活躍する外国人落語家も存在するのですが、受け手として一般的な落語の印象はどんな感じでしょう。日本在住の外国人20名に「日本の演芸「落語」を面白い、興味深いと思いますか?」と質問してみました。■面白いと思います。同じ国の人で落語をやっている人もいます。(トルコ/30代前半/女性)■面白いし、笑えるし、素晴らしい伝統芸だと思います。(ドイツ/40代前半/女性)■面白いです。(中国/20代後半/女性)■面白いです。(マレーシア/30代前半/男性)■面白いと思います。(ペルー/30代前半/男性)■面白い、興味深いものです。(ベトナム/30代前半/女性)■はい、両方そう思います。(ロシア/20代前半/女性)■はい、思います。(台湾/40代前半/男性)■はい。(韓国/40代後半/男性)■はい。(オーストラリア/40代前半/男性)■とても好きです。(スペイン/30代後半/男性)日本語を駆使した芸のためか、今回のアンケートは賛否が半分にわかれました。元禄時代の上方(大阪)や江戸に始まり、江戸時代に大衆芸能として現在の形になった落語。衣装や道具を用いる歌舞伎などとは異なり、落語家がひとりで語りと役を演じわけ、扇子や手拭ですべての小道具を表現し、身ぶり手ぶりのみで物語を進めるため高度な技術が必要とされています。ちなみに、「落語」という呼び名は明治以降のものだそう。昭和に入ってからも三遊亭圓丈や3代目桂米朝、立川談志、6代目桂文枝、春風亭小朝など各世代の落語家が活躍し、古典、新作問わずさまざまな作品が演目として行われています。また、トルコの方の回答にもある外国人落語家は、明治・大正時代から存在。「青い目の落語家」として活躍した初代快楽亭ブラックを始め、現在はカナダ人の桂三輝(サンシャイン)やイギリス人のダイアン吉日などが活躍しています。■日本語をすごく理解していないと面白くないと思います。(ブラジル/20代後半/男性)■面白そうですが、母国での笑い所と日本の笑い所が違うので自分にはあまり……。(タイ/30代後半/女性)■面白い時もありますが、私は興味深いと思いません。(フィリピン/40代前半/女性)■落語は難しくてあまり聞き取れないが、とても頭を使うものだと思う。(イギリス/20代前半/女性)■僕には面白くない。(アルゼンチン/30代前半/男性)■落語には興味がありません。(アメリカ/20代後半/男性)■あまり興味がないからよくわからない。(イスラエル/30代後半/女性)■落語はあまり好きではないし詳しくありません。(スウェーデン/40代後半/女性)■まあまあ。(チュニジア/40代後半/男性)本当に上手な落語家の演目はすべての役柄が目に浮かぶようだと言われますが、それでも聞き取りが必要な話芸だけに、ハードルが高いと感じる方も多いようです。古い時代が舞台の作品が多く、日本の伝統文化や国民性に基づいた笑いなので、余計に難しく感じるのでしょうね。ブラジルやタイの方の「日本語を理解していないと」、「笑い所が違うので」という意見も、アメリカンジョークが日本人にはいまひとつ理解できないことを考えれば仕方がないのかも。見る側にも演じる側の意図をくみ取る力が必要だけに「頭を使う」という意見もうなずけます。目や耳だけでも楽しめるアートや音楽の世界と異なり、笑いには言葉と国民性、文化背景の理解が重要です。コメンテーターとしても活躍するアメリカ人のパックンや漢字ネタの厚切りジェイソンなど、外国人のお笑い芸人も増えていますが(よしもとのチャド・マレーンのチャド、サンミュージックのタイムボムのニック、松竹のエリザベータなども)、言葉や歴史知識も必要な落語は難しく感じるのかもしれません。でも、私たち日本人が海外のコメディ映画を理解できるようになることと同じかも、と考えると、なんだかわかる気がします。
2015年06月15日今回のテーマは、「兼業でやっていてよかったこと」である。漫画家兼会社員生活の最大の利点は「健康でいられる」ことだ。よく、「そんなに仕事したら体を壊すのではないか」と言われるが、正直、専業漫画家になった方が体と心を壊す自信がある。○二足のわらじを履くことの「利点」まず、会社勤めをしていると、規則正しい生活が送れる。毎日定時に出社するため、朝6時半に起き、夜12時前には寝るようにしている、そして、原稿は12時には寝られるようにスケジュールを立て進行させる。また、締切りを破ったことはない(仕事自体をすっかり忘れていたことはある)。「そう上手く行くか」と思われるかもしれないが、「会社に遅刻したら怒られる」、「締め切りを破ったら怒られる」等、多方面から叱責されることを考えると、どんなに怠惰な人間でも割とキッチリやるようになるのである。これが、遅刻、締め切り破り当たり前、怒られても平気、という状態になったら、もはや漫画家、会社員以前に社会に向いていない。よほど厳しく自らを律することが出来る人間以外でもないかぎり、規則正しい生活を送ろうと思ったら「定時出社」「締め切り」などの強制力が必要だ。しかし、漫画家という職業はその強制力が弱い。ハッキリ言って、締め切りさえ守れば、あとはどう生活してもいいいのだ。特に私はアシスタントなしの一人作業なので、専業作家になったら日中家に一人きりである。これは非常に危険な状況で、起きている間ずっと物を食っているか、連続飲酒状態になる姿が容易に想像できる。現在、会社では同僚たちとの人間関係構築に見事失敗したため、誰とも会話せず、ひとりで仕事をしているようなものだが、やはり人の目があるというのは大きい。デスクでネバーエンドに菓子を食ったり、胸ポケットからウィスキーを出して煽ったりはもちろん、全裸で仕事をすることもできない。つまり、私にとって、生活リズム的には、兼業状態がベストということになり、専業で健康的な生活を送ろうと思ったら、酒瓶を握ろうとする私を手刀で止めるアシスタントを雇わねばならず、非経済なのである。そして第二の利点はその「経済的安定」である。「安定した職業につけ」というセリフに対し「今の時代安定した仕事なんてあるのか?」という反論を聞くことがあるが、残念ながら圧倒的に、漫画家より会社員の方が安定している。作家の実力にもよるが、私を例にした場合、「連載が打ち切られる可能性」と「会社が潰れる可能性」を比べると、どう考えても前者の方が高い。これに「会社をクビになる可能性」をプラスすると五分五分ぐらいになってしまうが、今回は含めないものとする。とはいえ、今勤めている会社の給料はとても良いとは言えず、会社に行っている時間を漫画に使った方が割が良いかもしれない。しかし、今の会社には6年勤めているが、私の漫画連載で6年続いているものなど1本もないのである。また、今は良いが、この先10年、20年と自分に漫画の仕事の依頼が来るというビジョンがどうしても思い浮かばない。むしろ、給与というベーシックインカムを心の支えに、何とかこの不安定な仕事を続けていられるとも言える。その支柱を失ってしまったら今以上に打ち切りに怯え、酒に逃げ、それを空中とび膝蹴りで止めるアシスタントを雇わねばならず、ますます非経済なのである。先日亡くなられた桂米朝氏が「芸事で生きる人間は末路哀れは覚悟の内」とおっしゃっていたが、「俺は末路哀れで良いから漫画を描く」と思っている漫画家よりは、一獲千金を夢見た結果、末路哀れになっているケースの方が多い気がする。そして私のように、人一倍末路哀れな自分ばかり想像するタイプは、何らかの保険なしにはとても漫画など描けないのである。○専業を夢見るも…このように、兼業漫画家生活の利点は多々あるのだが、正直、漫画家1本にしてもっと自由な生活を送りたいという気持ちは非常に強い。会社に行っている時間を漫画に費やせば、作品の質が上がり大ヒット、結果的に会社を続けるより懐も潤うのではと考えることもある。しかし、「時間があれば」と言っている奴は、時間があっても5億%何もしない。会社を辞めたとしても、漫画製作時間はそのままに、余った時間は何もしないに決まっている。それに、ネガティブな人間に時間があるというのは危険なのだ。ポジティブな人間なら、リフレッシュしたり新しい事を始めたりと余暇を有効に使うだろうが、ネガティブな人間に時間を与えるというのは「いらんことを考える時間を与える」ということなのである。つまり、会社を辞めたことによってできた時間全てを「会社を辞めたことに対する後悔」をする時間に使ってしまうのだ。よって私のようにネガティブで、自らを律することができない人間は、会社と締め切りで、縛り上げ、いらんことを考える暇もなく仕事をしている状態が一番健康的な生活と言えるのである。カレー沢薫漫画家・コラムニスト。1982年生まれ。会社員として働きながら二足のわらじで執筆活動を行う。デビュー作「クレムリン」(2009年)以降、「国家の猫ムラヤマ」、「バイトのコーメイくん」、「アンモラル・カスタマイズZ」(いずれも2012年)、「ニコニコはんしょくアクマ」(2013年)、「負ける技術」(2014年)など切れ味鋭い作品を次々と生み出す。2015年2月下旬に最新作「やわらかい。課長起田総司」単行本第1巻が発売され、全国の書店およびWebストアにて展開されている。
2015年05月12日