皇室ジャーナリスト・渡邉みどりさん 美智子さまとの“出会い”は20歳
長年、美智子さまを見つめ続けてきた渡邉さんはしみじみとした深い声音でこう言った。
「『お疲れさまでした』。もう、その一言に尽きます」
渡邉さんが、正田美智子さんの名前を最初に知ったのは、20歳のときだった。
毎年、成人の日を記念して、読売新聞で懸賞論文「はたちのねがい」を全国規模で募集した。’55年1月15日、その年集まった4,185通のなかから、2位入選を果たしたのが、聖心女子大学の学生だった美智子さまだ。渡邉さんも応募したが、3次選考で落選していた。
「入選だけでしたら、美智子さまのお名前もすぐに忘れてしまったでしょう。ところが、2月5日の新聞でこう報じられていたんです」
《2位入賞の正田美智子さんは、賞金2,000円を、恵まれない人への社会事業と奨学資金に寄付》
「この報道で、同じ年齢のすごい方として、正田美智子さんのお名前が強く刷り込まれてしまいました。
私は、もし、入選したらスキーに行こうと考えていましたから、誠にお恥ずかしい次第でした」
3年後の11月27日、史上初の民間出身の皇太子妃が発表された。
「その歴史のヒロインは、論文2位のあのすごい方だったのです」