元ヤン女子が林業家に 苦境に立たされても100年続いた森を守る
当時、金髪に染め、指にタトゥーも入れていた。
「遊んでお金がなくなったら、また新しいバイトの繰り返しでした。親に申し訳ないという思いはずっとありました。お母さんが泣いているとつらいし、いけないことしてるなぁと思いながらも、遊ぶのが楽しくて、やめられなくて……」
そんなある日、両親そろって、優佳さんが熊本市内に借りたアパートに娘の様子を見に行った。温厚が作業着を着て歩いていると言えるほど、ふだんは口調も佇まいも穏やかな父は、このときだけは別人だった。
「そうそう、生まれて初めて(父に)ぶたれて……。これはヤバイ、変わらないかんなと思いました」
時給600円で、父の山仕事を手伝うようになったのも、同じころだったろうか。父と一緒に山に入ると、直行さんはよく祖父や曽祖父の話をした。
「あのあたりは、じいちゃんが『ドル箱の山だ』と言ってたんだよ」
「ひいじいちゃんは、間伐する木を吟味するために上ばかり見て歩いていて、よくコケてたよ」
そんな話を聞くと、先祖たちがいかに山を大事に守ってきたのか、ヒシヒシと伝わってくる。「お父さんのあと、この山はどうなるんだろう。お父さんが死んじゃったら、この山には誰もこなくなる……。