2020年11月16日 11:00
山谷でけんちん汁店営む老夫婦 故郷を失った人の帰る場所に
信頼を寄せていた人から、退路を断たれてしまった者もいた。
「これは数年前だけどね、その人もやっぱりしばらくぶりに実家に帰ったんだね。田舎、どこだか聞かなかったけど、言葉の感じだとやっぱり東北かな」
その常連客がヒロ子さんに語ったのは次のような物語だった。
男性が久方ぶりに実家に帰省すると、家を継いでいた兄は早世していた。家に残されたのは年老いた母と、兄嫁。兄嫁は何年も会うことのなかった義弟を、歓待してくれたという。
「酒に魚でもてなしてくれたそうですよ。それで気分もよくなったんだろうね、家業に男手も要るだろうと、その人は実家に残ることを真剣に考えたって。
ところが、何日かたった朝ね、お母さんが彼を呼んで言ったんだって。『みんな、おめえが急に帰ってきて困惑してる。嫁さんだって本当のところ迷惑してんだ。家のことは心配ねえ。だから、黙ってこのまま帰ってくれ』って」
男性は目を泣きはらしながら、ヒロ子さんにこうこぼしたという。
「そんでさ、お袋、しわしわの手で俺に金、握らせながら繰り返すんだ。『ここはおめえのいる場所じゃねえ、だから帰れ』って」
客との思い出を語るヒロ子さん。その話を黙って聞いていた新平さんがつぶやく。