2021年12月19日 06:00
自宅の浴室で明菜が、不倫発覚で退所…近藤真彦の“やんちゃ”なアイドル人生
バラエティ番組などでも、先輩芸能人にまで少し生意気な言葉遣いをするなど物おじしないところも、女子の心をつかんだのです。映画『ハイティーン・ブギ』(’82年)では、バイクとケンカにあけくれる役どころ。石原裕次郎的なスター要素も感じさせました」
一方、歌手としては’80年に『スニーカーぶる~す』でデビュー。4枚目のシングル『ギンギラギンにさりげなく』(’81年)で、日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞し、『NHK紅白歌合戦』に初出場を果たした。
「当時、キンキラの衣装が似合う人は、西城秀樹さん、ジュリー、そしてマッチをおいて、ほかにはいなかったのでは(笑)。やんちゃなアイドル路線は『ホレたぜ!乾杯』(’82年)あたりまで。『ケジメなさい』(’84年)から少しずつ大人キャラへと移行し、『愚か者』(’87年)で完全に確立したといえるでしょう」
その人気にかげりが見え始めたのは、’89年7月、近藤宅の浴室で倒れていた中森明菜が病院に搬送された騒動から。その後に両者がそろって出席した“金屛風会見”にも批判が集まった。
しかし--。
「’94年にトシちゃんが独立したこともあり、ジャニーズ事務所の長男的な存在となりました」