2022年5月8日 06:00
香坂みゆき明かす“金妻”撮影秘話「板東英二さんは自分のセリフしか覚えてこない」
テレビCMや学年誌の表紙モデルの仕事をしていた’75年、『欽ちゃんのドンとやってみよう!』(’75~’80年・フジテレビ系)のマスコットガールに抜擢され、その後、大手プロダクションであるサンミュージックへ移籍。
「それほど歌のレッスンができないまま、『愛の芽ばえ』(’77年)で歌手デビューしました。初めてドーナツ盤のレコードを手にしたときの感動は忘れません」
世はアイドルブームの黎明期。アットホームな所属事務所では、タレントとスタッフが一緒になってぶどう狩りをしたり、伊豆の民宿へ海水浴に出かけたりしていた。
「同じサンミュージック所属の(松田)聖子さんが’80年にデビューしてからは、事務所の雰囲気も慌ただしくなりました。人気ぶりが別格でしたから」
■心の闇を晴らした“金妻”との出会い
いっぽうの香坂さんは、ちょうどこのころから“闇の時代”を迎えることになったという。「自分の思いが反映されていない曲でも、歌って、売らなきゃいけないことが苦しくなって……」
同世代の太川陽介が事務所内のポップス班に配属されたためか、同じくポップスを歌う香坂さんは演歌班に。
「演歌の大先生の前座で歌う機会があったのですが、私は8ビートの曲を歌うから、会場に来たおばあちゃんに『音がうるさい』って言われてしまったり。