2022年8月25日 11:00
羽生結弦 恩師ブライアン・オーサーが語っていた本音「ユヅルのコーチは重圧だった」
「彼は『ユヅル・ハニュウはひとつのブランドのようなもの。僕自身もかつてない重圧を感じていた。僕まで監視されているような気がした』とも話していました。羽生くんを指導するということは楽しいことである一方で、ものすごい責任とプレッシャーを感じていたようです。やはり五輪となれば、コーチの一言で運命が変わってしまうこともありますから」
コロナ禍に入った’20年以降、羽生は仙台で練習をすることに。カナダのオーサー氏とはリモートでやりとりを続けるなかで、’22年2月の北京五輪を迎える。この五輪でオーサー氏は羽生の演技するリンクサイドに立たなかった。
「北京五輪の直前になって、羽生くんから『一人でやります』と伝えられたそうです。
ブライアンにしたら本音はサポートしたかったかもしれません。でも、『27歳で迎える五輪で、しかも3回目。口出しするものじゃないとわかっていた。たぶん最後の五輪だから、ユヅル本人がかじ取りをしたいと思うなら尊重することにした』と言っていました。
以前、ブライアンが指導していたキム・ヨナは、バンクーバー五輪で金メダルを取った後に、理由がわからないままケンカ別れのようにカナダから去ってしまった。