くらし情報『アントニオ猪木さん「私らしく『闘って死にたい』」波乱万丈乗り越え語っていた“理想の死に方”』

2022年10月2日 11:00

アントニオ猪木さん「私らしく『闘って死にたい』」波乱万丈乗り越え語っていた“理想の死に方”

あなたの記憶を胸に今日もリングに上がってきます。心からの感謝と愛と哀悼の意を捧げます。本当にご苦労様でした。どうかどうか安らかにお休みください。ありがとうございました》と綴った。

猪木さんを師匠として慕った長州力(70)も、《やっと解放されましまね。リングを降りても貴方は闘魂アントニオ猪木でしたまさに闘魂そのものでした。猪木さんどうか安らかにお休みになって下さい。
私の中での昭和のプロレス時代はこれで終わりたいと思いますが、まだ藤波辰爾選手が頑張ってます最後まで見届けます》とTwitterで偲んだ。

■「どうせ死ぬなら、私らしく『闘って死にたい』」

多くの人々から愛された猪木さん。いっぽうで、その人生は波瀾万丈の連続だった。

「猪木さんは5歳になる直前に父が急死。13歳で家族とブラジルに渡り、コーヒー農園や青果市場で働いていました。現地の陸上競技大会の円盤投げで優勝した際、同国に遠征中だった力道山さん(享年39)にスカウトされプロレスの道へと進むことに。76年6月にはモハメド・アリ(享年74)との『異種格闘技戦』が日本武道館で実現し、世界中に猪木さんの名が知れ渡ったのです。以後、猪木さんが立ち上げた新日本プロレスは人気を博しましたが、その陰では個人事業の失敗で数十億ともいわれる負債を抱えたことも。

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