2023年5月12日 06:00
羽生結弦 カナダ渡航で恩師に“別れの挨拶”ナイアガラの滝も見なかったスケート漬けの7年半
朝は遅めに起きて、お昼ごろから練習。そのあと、当時は大学生だったので大学の課題をしたり、気分転換にゲームをしたりして、それから寝るという毎日。食事は一緒にカナダに渡った母親が作ってくれていました。
クラブの仲間から外食や遊びに誘われることがあっても、羽生さんはほとんど断っていたようです。オーサーコーチも“ユヅルにもっと人生を楽しんでほしい”とぼやくほどのストイックさでした」
羽生がクリケット・クラブを選んだ理由は、刺激を与えてくれる同世代のライバル選手がいたこと、そしてブライアン・オーサー氏がいたことが決め手だった。
「オーサーはバンクーバー五輪の女子金メダリストであるキム・ヨナを育てた名コーチです。怒ることもほとんどない優しい穏やかな人柄で、羽生さんは、“オーサーは選手の精神面のコントロールがすごく上手だ”と話していました。緊張しているときは笑わせてくれ、集中していないときは活を入れてくれる。
技術面だけでなくそういった部分も、ありがたく感じていたようです」(前出・フィギュア関係者)
ただ、ときには衝突することも。
「オーサーが“こうしたら勝てる”と提案すれば、羽生さんは“いや僕はこうしたい”と主張し、意見が食い違うことも。