2023年5月23日 06:00
市川猿之助「泥を塗った」と香川照之の性加害事件に激怒…悲劇の裏で抱えていた一門の重圧
でも本当はとても繊細な性格で、かなりお酒を飲むことに加え、1~2年前から睡眠薬を手放せなくなったと言っていました。あるとき、私が家庭の悩みがあると打ち明けたら『僕もありますよ』と神妙に言っていたのを記憶しています」
■《これからどうやって生活したらいいか》
猿之助の屋号は澤瀉屋。三代目猿之助だった二代目市川猿翁(83)が’86年、歌舞伎に最新技術や現代音楽を取り入れ、宙乗りなどの演出で魅せる「スーパー歌舞伎」を創始。歌舞伎界に新たな歴史を刻むこととなった。
「澤瀉屋は学業優先でも知られます。段四郎さんは高校生の猿之助さんに『大学に行くのなら、絶対に卒業しなさい。稽古を理由に学校を休んではいけない。二莵を追う者は一莵も得られない』と言い聞かせてきました。
その結果、猿之助さんは慶應義塾大学文学部に合格。きちんと卒業もしています」(後援会関係者)
’12年、伯父・猿翁から四代目猿之助を襲名。その芸を「スーパー歌舞伎II」として発展させ人気者となった猿之助だが、このころから父・段四郎さんは体調不良に悩まされるようになったという。
「段四郎さんは10年くらい前から体が言うことを聞かなくなったそうで、’15年のスーパー歌舞伎II『ワンピース』での親子共演が最後の舞台となりました。