初代は破門、三代目の反骨心が生んだ「スーパー歌舞伎」…猿之助4代150年の明と暗
襲名披露の翌月には猿翁となった祖父が、さらに同年11月には父・三代目市川段四郎が相次いで他界してしまったのだ。
■「まるでサーカス」、批判も受けた「スーパー歌舞伎」
《後ろ盾を失い、“劇界の孤児”となった》
襲名直後の自分が置かれた状況を三代目は著書『スーパー歌舞伎』(集英社新書)でこう述懐した。
祖父と父、2人の庇護者を同年に失う非常事態。歌舞伎界ではこのような場合、力のある幹部俳優を頼り、その家の傘下に入るのが常だった。実際、三代目に手を差し伸べた俳優もいたという。だが彼の胸中に湧き起こるのが“家の伝統”である反骨心だった。前出の自著にはこんな一文もある。
《“寄らば大樹の陰”的な生き方を潔しとしない私の気性から、生意気にもどこにも属さず、独立独歩で己が道を切り開いていくことを決めた》
しかし、この姿勢が三代目を余計に孤立させていく。
毎月の歌舞伎公演でも、彼にいい役が割り振られることは、ほとんどなかった。ならば、と彼は、さらに反骨心をたぎらせた。
「三代目はここで『春秋会』という自主公演の勉強会を立ち上げます。何十巻と出ていた『日本戯曲全集』に載っていた古い歌舞伎の脚本を読破し、これは、と思ったものを次々掘り起こし、復活させていったのです」