初代は破門、三代目の反骨心が生んだ「スーパー歌舞伎」…猿之助4代150年の明と暗
(犬丸さん)
大学の卒論テーマが近松門左衛門だった三代目。古典歌舞伎への愛情も造詣も深く、犬丸さんによれば「大好きな古典の魅力を広めるため、その手段として三代目は“けれん”を使った」という。
けれんとは“外連”とも書く、「宙乗り」「早替り」などによる奇をてらった演出のことだ。
「曽祖父が師事した團十郎家と、“團菊”と称され並び立っていたのが尾上菊五郎家。この2つの家の芝居こそが『本格』と呼ばれ、当時の歌舞伎界では金科玉条となっていました。そこに異を唱えたのが三代目だったのです。
明治期以降の歌舞伎は高尚な芸能として庶民感覚と乖離してしまったと考えていた三代目は、江戸期のように庶民的なエネルギーに満ちた歌舞伎を取り戻そうと、邪道とされていた早替りや宙乗りを復活させていったのです」(犬丸さん)
そのけれんが結実したのが1986年に初演を迎えたスーパー歌舞伎『ヤマトタケル』だった。
「正直言うと、古典を見慣れた私など、最初はただただ驚いてしまって『いったい何が始まったのか』と。
しかし、いま思えば大変よくできた歌舞伎でした。悲劇のヒーロー・ヤマトタケルが諸国放浪の末、最後は死んでその魂が白鳥になって飛んでいく……。