武田久美子明かす父の看取り「最期は手を握り返してくれた」
仕事が忙しくなり、ドラマやグラビアとさまざまな仕事にチャレンジしましたが、父から批評されたことはありませんでした。母から聞いたところ、実は無関心ではなく、作品もちゃんと見ていてくれてはいたのですが、口は出さないようにしていたようです」
武田さんが結婚し、米国に移住するときも「久美子の選んだ道だから」と送り出してくれた。「思えばあのとき、家族になにかあったとき、遠く離れた日本に駆けつけることができるだろうか、という一抹の不安がよぎりました」と彼女は語る。
「私が到着して3日目の朝、私の手を握りしめたまま、家族に見守られながら父は息を引き取りました。死因は内臓の血管が損傷したことによる出血でした。あと10年は大丈夫と信じていたため、いっしょに過ごした最後の夏も、娘のソフィアと実家に滞在したのはわずか3日間でした。もっと長くいっしょにいればよかった……、そう悔やむいっぽうで、会えただけでもよかったとも思います。とにかくソフィアの顔をみせることができて、父の77歳の誕生日を祝うことはできたのです」
武田さんがアメリカへ帰るときも邦廣さんは駅まで送ってくれ、ふつうに「またね」