水木しげるさん次女明かす、「父の一度きりの大激怒」のワケ
子どもなりに苦しんでいる気持ちを理解してくれたのがうれしかったのです。結局、学校にはちゃんと行きましたが--」
水木さんは悦子さんにいろいろなものを見せてくれた。
「取材に同行してあちこち出かけました。西アフリカとかパプアニューギニアとか、あまり人が行かないようなところばかりでしたが。父は現地の人からとっても好かれて、どこへ行っても大歓迎されていました。特にパプアニューギニアは、父が戦争中にいた場所であり、命の恩人である現地の人には、よく会いに行っていました」
いつも優しい水木さんだったが、一度だけ大激怒したことがあった。
「私がアパートの部屋を決めて、『一人暮らしをします』と宣言したとき、『許さん!』と烈火のごとく怒ったのです。あんなに怒った顔は後にも先にもあのときだけ。
あまりの勢いに、一人暮らしの話は瞬時に立ち消えです。お父ちゃんが亡くなって一年半がたちましたが、いなくなったという実感はあまりありません。今でもお父ちゃんがそばにいるように感じています」
水木さんの最期には立ち会えなかったが、お葬式の前夜、悦子さんはお寺に泊まって、父と思う存分話をした。