“被爆証言会”続けた37歳男性逝く、命燃やした4,000日
の4,000日』と題された本は7月中旬には、冨恵さんのもとへ届けられるはずだったのだが……。編集担当者は言う。
「6月末に病室を訪ねたとき、発売後に予定していた対談やインタビューの打ち合わせを済ませました。本ができあがるのを楽しみにされていたので、届けられなくて本当に悔しいです……」
一日でも長く生きるための治療を模索している最中、容体が急変。みとった友人らによると、決して穏やかな最期ではなかったそうだ。7月6日には冨恵さんが病いを押して参加するつもりだった140回目の「語り部の会」が開催された。告別式後、バーには続々と仲間たちがやってきた。
「亡くなる直前、『原稿に反映してほしい』と、冨恵さんから長いメッセージがLINEに届きました。
パソコンで文字を打つのも、活字を読むのもしんどいようで、ご友人たちの助けを借りながら送ってくださったそうです」(編集担当者)
メッセージには平和への祈りが込められていた。
《平和活動というと、堅苦しいし、近寄り難いし、もちろん参加も躊躇してしまう。