川中美幸 最後は寝たきり…涙で語る亡き母の老老介護3年間
最初は素直に『楽しみやなぁ~』と言ってくれていた母が、やがて『車いす、車いす……』と言ったかと思ったら、『お母ちゃん、もう無理やわ』って……。それが最後の会話で、夜中の2時半頃に眠るようにまぶたを閉じました」
久子さんは、最後は苦しむことなく穏やかな表情で天国へ旅立ったという――。振り返れば、川中のいちばんのファンとしていつもそばで支えてくれたのが久子さんだった。
「舞台をやれば、母は初日、中日、楽日とすべて自分でチケットを買って観に来てくれました。毎回10本も20本もペンライトを買っては、お客様たちに『これで美幸を応援してやってください』って、配るんですよ。先日、母の化粧台を整理していたら、ペンライトが50本も出てきました。本当に可愛くって、愛情にあふれた人でした」
そんな久子さんが3年前に心筋梗塞で倒れ、16時間に及ぶ手術を受ける。以降、坂を転げ落ちるように急激に弱っていった久子さんを自宅で介護する壮絶な日々が始まった。
16年3月には介護に専念するため、19年間所属していた事務所からも独立することに――。