くらし情報『『津田青楓 図案と、時代と、』渋谷区立松濤美術館で開催中 明治、大正時代の革新的な「図案」の世界を紹介』

『津田青楓 図案と、時代と、』渋谷区立松濤美術館で開催中 明治、大正時代の革新的な「図案」の世界を紹介

山田芸艸堂 明治37年(1904)9月右上:岡田朴亭『小美術図譜』より「桜林」山田芸艸堂 明治37年(1904)9月右下 :『小美術図譜』より同人「寒葵」山田芸艸堂 明治37年(1904)9月いずれも芸艸堂蔵
すでに一定の評価を得ていた青楓だが、1907年に海外実業訓練生として安井曾太郎とともにパリに留学。帰国後は洋画を描く一方で、当地で学んだ新しい表現に果敢に取り組もうとしていた。第3章「青楓と新しい試み」では、より自由な表現で制作を続けた青楓に注目をする。

『津田青楓 図案と、時代と、』渋谷区立松濤美術館で開催中 明治、大正時代の革新的な「図案」の世界を紹介

展示風景より手前『ル・イブウ』大正2年(1913)は津田青楓が表紙画を描いている (C)Rieko Takahashi
津田青楓が大正12年(1923)に装幀を行った夏目漱石の『草合』は、明治41年(1908)に橋口五葉が装幀を手掛けていた。同じ内容の本であるものの、アール・ヌーヴォー調の五葉の装幀に対し、青楓の素朴でのびやかな装幀は非常に対照的だ。


『津田青楓 図案と、時代と、』渋谷区立松濤美術館で開催中 明治、大正時代の革新的な「図案」の世界を紹介

上:橋口五葉(装幀)夏目漱石『草合』明治41年(1908)春陽堂下:津田青楓(装幀)夏目漱石『草合』(縮刷)大正12年(1923)春陽堂 (C)Rieko Takahashi いずれも山田俊幸蔵
長い人生のなかで、常に新しい表現を求め、貪欲に制作していった津田青楓。

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