2021年7月16日 12:30
ミューズたちとともに創り出した多彩な作品世界を紹介 『マン・レイと女性たち』Bunkamuraザ・ミュージアムにて開幕
しかし、第二次世界大戦が勃発し、平和だったパリにも不穏な影が立ち込めはじめた。1940年、マン・レイはアディを残してアメリカへと帰国する。
写真左 ソラリゼーションという技法で撮影された《眠る女》(1929年)
1920年代のオートクチュール。マン・レイはファッション誌でも大活躍していた。
「ハリウッド」
アメリカに戻ったマン・レイは、ジュリエット・ブラウナーと出会い、ハリウッドを拠点に活動を開始。
ジュリエット・ブラウナーのポートレート
しかし、ハリウッドではマン・レイの芸術活動は写真のみしか評価されず、思うような仕事をすることが困難となっていた。次第にフラストレーションを募らせたマン・レイは、終戦後の1951年、再びパリに戻ることを決意することとなる。
「パリふたたび」
そしてマン・レイはふたたびパリでの活動を開始する。オブジェや彫刻、女優のポートレートやデッサンなど、ジャンルを問わず精力的に制作を続けた。
マン・レイの立体作品
マン・レイの制作したランプシェードと、ランプシェード型イヤリングを身につけるカトリーヌ・ドヌーヴ
女性とともに20世紀を駆け抜けていった芸術家、マン・レイ。