くらし情報『「ぴあフィルムフェスティバルと大島渚の時代」連続インタビュー ②利重剛×小中和哉「(大島監督は)作りたい映画があればそれが一番でしょうという人」』

2023年3月14日 12:00

「ぴあフィルムフェスティバルと大島渚の時代」連続インタビュー ②利重剛×小中和哉「(大島監督は)作りたい映画があればそれが一番でしょうという人」

僕が大島渚のセリフを書いて(笑)。それでこれに出てもらえませんかと交渉したら、快く出演してくださいました。『やくざの墓場 くちなしの花』(1976年)にも出演されていたので、ドキュメンタリータッチの芝居ができる方だと知っていたのですが、本番一発で見事に応えてくださいましたね。

大島監督たちが煽ってくれたことで8mm映画のムーブメントが大きくなったと思う

──高校時代から、後年まで大島監督とお付き合いが続いたわけですね。

利重『ザジ ZAZIE』を撮った後には監督協会にも入れていただいて。入るときの推薦者が大島さんと崔洋一さん。断るわけにはいかない(笑)。Bunkamuraのドゥ マゴ パリでやっていた監督協会の忘年会の司会もやりましたね。
ある年は鰐淵晴子さんにバイオリンを弾いてもらって。演奏が終わったら大島さんが螺旋階段を降りてくる。そのあと、大島さんは挨拶で、「デビュー作の『愛と希望の街』で鰐淵晴子さんに出てもらうとしたら断られました!」って叫んで。鰐淵さんも「そのとおりです。後悔していません!」と答える(笑)。とにかく大島さんとのお付き合いはおかしかったですね。

──岡本喜八監督も大島渚監督も、撮影所出身でメジャー大作も撮れば、ATGでローバジェット映画も撮る監督でした。

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