くらし情報『「ぴあフィルムフェスティバルと大島渚の時代」連続インタビュー ②利重剛×小中和哉「(大島監督は)作りたい映画があればそれが一番でしょうという人」』

2023年3月14日 12:00

「ぴあフィルムフェスティバルと大島渚の時代」連続インタビュー ②利重剛×小中和哉「(大島監督は)作りたい映画があればそれが一番でしょうという人」

──『教訓I』を推薦したのは大島渚監督。

利重嬉しかったですね。大島さんは大好きな監督でしたから。自分はこの後、岡本喜八組に入れてもらえたので、直接の師匠は岡本喜八監督なんですけど、もうひとり、精神的な師匠としては大島渚さんでしたね。

──大島映画は、いつご覧になりましたか?

利重高校のときに夢中で観ましたね。岡本喜八監督の『肉弾』(1968年)と大島渚監督の『少年』(1969年)。この2本が名画座にかかると、必ず観に行って何回も観ていました。

──大島監督は、映画監督を俳優で起用することがありましたが、すでに俳優活動もされていた利重監督については、どう見ていたんでしょう?

利重連ドラに出ていたときに、TBSの廊下でたまたま大島さんとすれ違って挨拶したんですよ。
その頃『戦場のメリークリスマス』の準備をしていたのを知っていたから、良かったら出演させてもらえないかって言おうと思っていたら、「いくつになった?」と訊かれて。25歳になりましたと言ったら、「そう! じゃあ本編を撮る歳だね。20代後半に頑張ったら、人間はいくつになっても頑張れるからね!」って。そのとき、役者も結構やっていたんですが、煮詰まっていた時期で。

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