日本で最初のラーメンブームは1910年だった!! ラーメンを日本中に広めた立役者とは?
浅草來々軒もその流れで、庶民のための中華料理店として出発する。
〈ラーメン店の誕生背景には、來々軒が「支那そば」、「ワンタン」、「シウマイ」という大衆的なメニューを安価に販売するという新たな業態を繁盛させ、広めたことがスタートとなります。〉(新横浜ラーメン博物館リリース)
当時の浅草來々軒は大繁盛で、毎日客が2500〜3000人も訪れ、1カ月の収入で家を1軒買えたというからすごい。來々軒の大成功を受けて、浅草にはあっという間に來々軒スタイルの中華料理屋が立ち並び、全国へと広がっていった。
ラーメンを日本中に広めた立役者が浅草來々軒。ドラマやマンガで中華料理屋の屋号に來々軒が使われるわけだ。
ラーメンの元祖とは、どんなラーメンだったのか。
新横浜ラーメン博物館は浅草來々軒のオープン当時の味を再現することに成功した。
新横浜ラーメン博物館のスタッフが当時の資料を収集、來々軒の創業者・尾崎貫一氏の親族の協力の下、故・佐野実氏の支那そばやが再現したという本格的なものである。
麺は当時の国産小麦(明治時代の輸入小麦は微々たる量で、すべて国産でまかなっていた)の品種を特定、現在ではすでに失われていたため、系統図と遺伝子情報からもっとも直系の小麦を探し出し、かん水は〈「かん石を水に入れ、その水を使用した」