『おむすび』新納慎也、今もなお鮮明に残る“震災の記憶”「復旧復興して前向きに進んだ神戸が誇り」
…多分(笑)。
僕は神戸市出身なのですが、阪神・淡路大震災が起きた時はあれほどの大地震を経験するのがみんな初めてで、何もわからなかったんです。市の職員の方も本当に困っただろうと思います。震災当時、神戸市役所にも大勢の方が避難していたのを実際に見ました。市役所内に公衆電話がいっぱい並べられていて、みんながそこに電話をしに集まっていました。職員の方は対応に奔走していたことでしょう。ドラマに描かれていない部分でも、若林は市の職員として頑張ったのだろうと思います。
――阪神・淡路大震災を描くことについて
阪神・淡路大震災を描くと聞いたときにちょっとヒリヒリする独特の感覚がありました。
震災時は大学生で大阪に住んでいたのですが、神戸で暮らす家族と連絡が取れなくなったのが心配で、水をかついで実家まで9時間近くかけて戻った経験も。途中、電車が止まっていて、徒歩も交えて神戸に辿り着きました。幸い家族は無事でしたが、避難所へ知人を探しに行ったのを覚えています。だから劇中の避難所シーンの撮影では「こんなんやったね」と、当時を思い出しましたね。エキストラさんがすし詰め状態で、プライバシーも何もない感じがリアルでした。