家出少女ユヤ(倉科カナ)と謎の紳士・宗盛(眞島秀和)は第三場、ある契約を結んで熊野(ゆや)と宗盛のような庇護関係に。二幕に入ると、宗盛にスマホの利用を禁じられたユヤの未来、そして小町と貴一郎を描いた映画の裏側と、物語は「近代能楽集」から大きく飛躍して展開されていく。
『卒塔婆小町』と『熊野』、現在と過去と未来、そして現実と幻想…。何層もの背反要素の間を自在に行き来しながら進むこの綺譚が、どう“快作”として帰着していくのかは、観てのお楽しみ。どこをどう切り取ってもそれだけで十分面白い物語に、想像もしなかった“オチ”がついた時、誰もがマキノの緻密な構成力に舌を巻かずにはいられなくなることだろう。古典に材をとっても幻想を絡めても、やはりマキノはウェルメイドの名手なのだ。
そんな緻密な劇世界を成立させているのが、達者な役者陣。本作では、例えば平岡ならネットカフェ店員のキーチ、青年将校の深草貴一郎、映画で深草を演じた俳優の佐伯というように、ひとりが複数の役に扮している。
それぞれの役は言葉遣いが大きく異なるため、役者は場面ごとに使い分ける必要があるわけだが、作品の性質上、全くの別人に見えてしまってもまた面白くない。