日本フィル新シーズンは山田和樹による濃厚シンフォニーで開幕
みためはそれほどでもないけれど、内容は充実、いや、濃厚と言ってもいいかもしれない。
ショーソンと水野修孝、どちらも交響曲。どういうつながりか、山田和樹さんがどう考えているのかわからない。わたしは、といえば、19世紀と20世紀、それぞれの世紀を俯瞰し総括するような作品がならべられている、とみている。正確には、1890年と2003年の完成だが、100年ほどの差。
ショーソンはヴァーグナーに心酔したフランス・ヴァグネリアン。
おなじシンフォニストでも、たとえば1824年、1860年の生まれのブルックナー、マーラーと対比すると、ショーソンは1855年生まれ、後者にちかい。強引な言いかたになるが、フランスに翻訳されたヴァーグナーの一例として、ブルックナーやマーラーに親しんでいるひとにこそ、たのしんでいただけるのではないか。
ショーソンがドイツ系のシンフォニーをフランスへ翻訳したとすれば、水野修孝は、ヨーロッパ/アメリカ由来のさまざまな音楽を、この列島で消化=昇華した作曲家。無調と調性、ヴァイタリティと叙情、リズムとメロディ、さまざまなコントラストが文字どおり「交響」し、コンサートホールという公共の場にひびく。