人生80歳から!天国に一番近いアイドル「KBG84」の深い話
KBG84での活動に、大きな張り合いがあるそうです。
■その年齢で自分ができることをやる
84歳の白保夏子さんは、ずっと小浜島にいたわけではありません。結婚して子どもができ、石垣島で生活するようになったからです。
子どもの学校の事情もあり、また生活の問題もあったため、小浜島を離れるしか手段がなかったということ。
そこで、石垣島にできたパイン工場の事務員として、57歳まで働いたのだそうです。
ちなみに「57歳まで」ということには理由があります。本当は60歳まで働くつもりだったそうですが、外国産のパインに押され、パイン工場がダメになってしまったのです。
そこで、やむなく早めの“定年退職”をしたというわけ。
つまりは順風満帆だったわけではないのですが、それでも子どもが巣立つまでは、やることがたくさんあったと振り返ります。
子どもが学校を出て一人前になるまで必死に働いたのは、「それが私の役目だ」という思いがあったから。
とはいえ、「いつかやりたい」とずっと思っていたこともあったのだといいます。まずは畑。そこで定年退職後、夢を実現するため小浜島に畑を買い、最初はサトウキビを、体がきつくなってからは野菜をつくっていたそうです。