歌舞伎俳優の市川猿之助と市川中車(=香川照之)が3月20日に会見を開き、「松竹大歌舞伎」巡業公演の製作発表を行った。「松竹大歌舞伎」チケット情報2012年に四代目を襲名した猿之助と、同じく九代目を襲名した中車の襲名披露として行われる今回の巡業公演。5月末から6月にかけて行われる中央コースでは『一本刀土俵入』のふたりの共演が話題に。猿之助は「お蔦は(中村)芝翫さんから最後に教わった人生の中で一番大切にしている役。猿之助になっても女方を大切にしますと報告したい」と胸中を明かした。中車も「亡くなった勘三郎さんからも(茂兵衛役は)ぜひやるべきだよと聞いておりました。父(市川猿翁)が芝翫さんと共演した時のDVDを参考に、父に教えてもらいながらやっていこうと思っております」と意気込みを語った。8月末から9月にかけて行われる西コースで、新橋演舞場での襲名披露の際演じた『小栗栖の長兵衛』に再び挑戦する中車。「2年前にやらせていただきましたが、少しでも前進していると自分でも実感できるような作品にしたい」と話す。同じく西コースで「義経千本桜」『四の切』の狐忠信を演じる猿之助は「『義経~』については語る言葉はないです。猿之助イコールこれだと思ってもらっても過言ではない」と自信たっぷりに語った。襲名してから2年が経つが、感想を聞かれた猿之助は「ずいぶんまえから猿之助だったかのよう」と話し、気持ちは次のステップに向かっているようだ。「先輩からあずかった荷物を次へ渡す古典の継承とスーパー歌舞伎の次回作を考えなければ。ますます忙しくなりますが充実していて役者としてありがたい」。歌舞伎の世界に飛び込んだ中車にとっては全てが初めての経験だ。「この2年間で歌舞伎に対する思いが変わってきました。やっぱりもっと早くやりたかった。歌舞伎にひと月出させていただいてから映像の世界に戻ると実感するのですが、ひとつの動き、ひとつの音、ひとつの間、すべてが繋がっていたんだと。長い時間をかけて完璧に構築されてきた“完全体”をみせられると、理屈だけは理解してもそれが出来ない自分のもどかしさの中で、ある日1ミリだけ前進したような錯覚をうける。その錯覚を楽しみに今は前に進んでいます。(歌舞伎は)生きる実感をいただいているありがたい仕事です」。「松竹大歌舞伎」中央コースは5月31日(土)から6月27日(金)まで、西コースは8月31日(日)から9月26日(金)まで各地を巡演。チケットは一部を除き発売中。
2014年03月25日東京、大阪、名古屋と各地で好評を博した、二代目市川猿翁 四代目市川猿之助 九代目市川中車 襲名披露興行が6月、いよいよ博多座に登場。襲名ならではの豪華な演目も話題だが、一日でスーパー歌舞伎と古典歌舞伎を上演するのは博多座でも初となる。その公演を前に、歌舞伎の世界に入って1年を迎える市川中車が思いを語った。六月博多座大歌舞伎 チケット情報「映像の世界で27年以上やってきて、厳しい現場を通過してきているという自負はあったけど、それでも歌舞伎には驚くべき難しさがあった」と、厳しい表情で語り始めた市川中車。その難しさを「数式を使って正解を求めなければいけない。物理を解くような感覚」と例えた。歌舞伎から映像の世界へ活動の幅を広げる役者は多いが、その逆はほとんどいない。しかも46歳という年齢であれば尚更だ。「映像と歌舞伎は基本的には違うものだと思う。間だったり、型だったり、といった正解があり、それは日本人にとって、とても気持が良い『間』であることがわかった。その『間』を映像の世界に持ち帰っても、スパーンとハマったりする。きっと日本人が遺伝子レベルでもっている心地良い間なんでしょう。歌舞伎が長く愛されてきたのもわかります。碁盤の目のような整然とした印象で、その様式美を表現するのは非常にハードルが高いものです」(中車)。厳しい稽古の中、父である市川猿翁からもいくつかアドバイスがあったそう。一番、心に残っている言葉は「もっと突っ込め」という言葉。「突っ込むというのは、12割、15割の気持をそこにいれるということ。映像の現場でも80%の演技ではOKが出ない、100%だとOKが出るかもしれないけど、監督やカメラメンが嬉々として喜ぶカットというのは150%の演技を出した時だ、ということを元々僕も思っていた。『芝居を突っ込む』という父の言葉を聞いた時、同じ考えなんだ、と。たった何秒だったけど、僕達父子にとって確かな交流になった瞬間でしたね」(中車)。今回は、注目の襲名披露興行ということもあり、これまで歌舞伎を観たことがない方が劇場に足を運ぶことも多そうだ。「実はまだ歌舞伎を観たことがないという方は芸能界にも意外に多くて、ナイナイの岡村さんもそうだった。でも観て頂いた後、すごくハマってもらえて。客席の反応のひとつとしてすごく自信になりましたね。とは言え、完成された様式美でありながら演じる役者によって違いがあるのが本当の歌舞伎の面白さ。これまで歌舞伎をやってきて、どれだけ自分が完成されてないかということを日々痛感してますが、(歌舞伎の)長い歴史の中のエポックメイキング的な出来事として、この不完全な感じも見届けて頂ければ嬉しいですね」(中車)。公演は6月2日(日)から26日(水)まで、福岡・博多座にて。チケットは発売中。
2013年05月30日歌舞伎俳優の市川猿之助と市川中車が12月4日、都内で会見を開き、来年1月の大阪・松竹座「壽初春大歌舞伎」への意気込みを語った。大阪・松竹座「壽初春大歌舞伎」チケット情報今年6月、7月に東京・新橋演舞場で襲名披露興行が行われたが、来年からいよいよ大阪を皮切りに全国を回るツアーがスタートする。大阪・道頓堀で元旦から歌舞伎の幕が開くのは実に50年ぶり。四代目を襲名した猿之助は「襲名と正月のおめでたさを味わっていただきたい」とコメント。俳優・香川照之として活動しながら九代目を襲名した中車は「無事に初舞台を勤めることができましたのも四代目(猿之助)のおかげ。引き続き、精進していくことに変わりはございません」と歌舞伎俳優としての決意を語った。昼の部の『吉野山』、夜の部の『義経千本桜』(「四の切」)で狐忠信を演じる猿之助は「三代目(猿之助)の『四の切』は神業に近いと思っているので、それをやらせていただくことは非常にありがたいです。ただ、考えてみたら襲名で人間の役をひとつもやっていない。鬼か狐か鳥か」と笑わせ、「どこまでこの役を深めていけるか挑戦したいです」と意欲を見せた。中車は昼の部『楼門五三桐』で石川五右衛門役に挑戦する。同演目は7月の新橋演舞場で市川猿翁の真柴久吉、市川海老蔵の五右衛門で上演されたばかり。そのときは、父・猿翁の後ろで黒子として付いていた中車だが「海老蔵さんのハリのある声を後ろで聞いていたわけですが、まさか自分があそこに立つとは。いま、稽古をしながら古典の壁の高さを感じています。本当に未熟ではございますが、なんとか頑張っていま勉強している最中です」と心境を明かした。また猿翁との初共演については「いざそうなってみるとそういうことかという感覚ですね。大本にある役者としての感情は、6・7月の舞台や稽古を通して父と確認しあいました」と話していた。襲名興行だけにチケットの売れ行きを気にする猿之助は、中車が演じる五右衛門のセリフ“絶景かな”にひっかけ、「空席があると“絶景かな”とはなかなか言いにくいのですから、宣伝をよろしくお願いします」とマスコミに依頼する場面も。一方で、多くの観客に歌舞伎を見て欲しいという気持ちから「若者向けの芝居も必要。いろんな公演の形態があってもいい」と話す猿之助。映像の仕事が多かった中車は「(歌舞伎の舞台に立って)初めて舞台が面白いと思いました。猿之助の美しさとこの細いからだで背負っているものの大きさ。そういったものを見ると理屈でなく感動します」と歌舞伎の面白さをアピールしていた。公演は1月1日(火・祝) から1月26日(土)まで。チケットは発売中。
2012年12月07日歌舞伎俳優・市川猿之助が四代目を襲名後、東京・明治座に初登場する舞台『十一月花形歌舞伎』が11月3日に開幕した。明治座『十一月花形歌舞伎』チケット情報明治座は、1993年に再開場した際、当時の三代目猿之助(現市川猿翁)の宙乗り用に天井にレールが取り付けられた、猿之助縁の劇場。その劇場に襲名後、初めて立つ猿之助は「三代目の伯父(猿翁)は、明治座でたくさんの復活通し狂言を初演してきました。その様子をずっと見て来ましたから、明治座は私にとっても非常に思い出深い劇場です。今回は明治座の特別な宙乗り機構も駆使して、大仕掛けあり、早替りありの澤瀉屋(おもだかや=猿之助の屋号)らしいスケール感あふれる演目で臨みます。伯父が創り上げた“四十八撰”があるからこそ、それを受け継ぎ練り直すことができる。これは非常に有り難いことだと思っています。新たな“猿之助歌舞伎”の始まりとして、まずはこの1か月、お客様に喜んでいただける舞台になるよう精一杯つとめさせていただきます」とコメントを寄せた。猿之助は、昼の部の変化舞踊『蜘蛛絲梓弦(くものいとあずさのゆみはり)』で、童や薬売りなどさまざまな役に六変化する。めまぐるしく変わる役を早替わりでみせるのが最初のみどころ。その後、女郎蜘蛛の精が本性を現す場面では、対峙する源頼光たちとの立廻り、そして蜘蛛の糸が舞台いっぱいに放たれる圧巻のクライマックスと観客を楽しませる工夫が随所にある。また夜の部では、通し狂言『天竺徳兵衛新噺(てんじくとくべえいまようばなし)』で日本転覆を目論む異国帰りの天竺徳兵衛を演じる。奇抜な発想と斬新な仕掛けでみせる本作は、蝦蟇(がま)の妖術を駆使して徳兵衛が活躍する物語に、歌舞伎の怪談話でおなじみの小幡小平次の幽霊譚を織り交ぜた大胆な展開で、早替りや葛籠抜けの宙乗りがみどころ。澤瀉屋が得意とするケレン味あふれる演出が堪能できる。公演は11月27日(火)まで、明治座にて上演。チケットは一部を除き発売中。
2012年11月06日歌舞伎俳優の市川海老蔵が、東京・新橋演舞場の『八月花形歌舞伎』(夜の部)にて、約50回もの早替りや宙乗りで人気の演目『伊達の十役』に再び挑戦する。海老蔵が公演を前に現在の心境を語った。新橋演舞場の『八月花形歌舞伎』チケット情報『伊達の十役』は仙台・伊達家のお家騒動をもとに創られた作品で、1815年、七代目市川團十郎が江戸河原崎座で初演した。その後上演が途絶えていたが、三代目市川猿之助(現猿翁)が1979年、実に165年ぶりに復活上演した伝説的舞台。これを海老蔵が2010年1月に初演、歌舞伎のエンタテイメント性あふれる演出で大当たりを取った。今回、2年7か月ぶりに務める海老蔵は「もっと早く再演したかった」と話す。「セリフが300以上もあって、専門的な言葉や古い言葉も多いですから。早くやって身につけておきたかった。みなさんはどうか判りませんが、僕の場合は完全に忘れているんで」とはにかむ海老蔵。演出は三代目猿之助が最後に上演したもの(1999年)とほぼ同じにするという。口上も團十郎家は柿色の裃を着るが、猿翁の希望で浅葱の裃に鬘も袋付(後ろがふっくらと袋状になっている髪型)でと考えている。「夏ということもありますし、面白い試みなのでやろうかと」。今月はその猿翁と共演している。「ご一緒させていただいて(猿翁の)情熱や思いをひしひしと感じています。先日、舞台が終わった後に『伊達の十役、君ね』とおっしゃってくださって、これはヤバいぞと、感動ですよ」。海老蔵にとって猿翁の存在は、歴史に名を残した名優と同列だと語る。「九代目團十郎や五代目菊五郎といった方々と同じくらい。絶対共演できないと思ってましたが、まさかご一緒できるなんて。本当に嬉しくて言葉に表せない喜び。日々勉強させてもらってます」。昼の部では『桜姫東文章』の釣鐘権助を演じる。桜姫の寝所に忍び操を奪うが、その後姫と夫婦になる。だが実は姫の父と弟を殺した悪党という男の役だ。「権助は(自分と)ちょっと似てるところがあると感じますね。父(市川團十郎)に教わっています。父の権助は色気があって、よいところを吸収したい」。一昨年の暴行事件から昨年復帰するまで、休んでいた期間の心境については「必要じゃない経験は与えられないと考えています。残った命があって、僕はこの体験をどういう風にとらえ歌舞伎に取り組んでいくのかって、自然と考えました」と明かす。今は「やりたい事が増えた」と歌舞伎への思いを語った。『八月花形歌舞伎』公演は8月4日(土)から23日(木)まで東京・新橋演舞場にて上演。チケットは発売中。なお、チケットぴあでは桟敷席+うな重セットのチケットを限定発売する。
2012年07月19日歌舞伎俳優の市川亀治郎が四代目市川猿之助を、俳優の香川照之が九代目市川中車を襲名する『六月大歌舞伎』が6月5日、東京・新橋演舞場で開幕した。新橋演舞場のチケット情報本興行では、同時に当代猿之助が二代目市川猿翁に、香川の長男政明君も五代目市川團子(だんこ)を襲名。昼の部の『口上』では、猿翁、猿之助、中車、團子と幹部俳優が揃って襲名披露の挨拶を行った。満員の客席から大きな拍手が沸き起こる中、まずは猿之助が挨拶。関係者をはじめ、先祖にも感謝したいと気持ちを述べたあと「亀治郎という名にまだまだ愛着がございます」と前置きし、『ヤマトタケル』の作者でもある梅原猛から「フリードリヒ・ニーチェという大哲学者が『運命愛』ということは外に起こった運命、外側から降りかかった運命をさも自分が欲したかのように愛すること。君はその『運命愛』に従ってこれから生きなくちゃいかん」という言葉をもらったと明かした。「今までは色々なインタビューなどでまだまださみしさ6分、嬉しさ4分と申しましたが、今日、猿之助を襲名致しまして、嬉しさ100%でございます」と挨拶。続いて中車が「この(中車の)名跡は、戦前に大活躍なさいました七代目、私の曽祖父の初代猿翁の弟、私の大叔父にあたる八代目が幅広い役柄を演じてきました由緒ある名前です。この大きな名前を曽祖父、祖父の50回忌追善で襲名させていただきますことは誠にありがたく感無量の思いが致します。同時に歌舞伎の舞台に初めて御目見えいたす私は、生涯をかけ精進し、九代目中車を名乗らせていただきます責任を果たしてまいりたい」と終始頭を深々と下げて挨拶。感極まった表情で、目には涙を浮かべていた。團子は、緊張した面持ちながら「猿翁のおじい様よりずっと立派な俳優になる事が私の夢でございます」と大きな声で挨拶すると、客席から笑いと拍手も。そこへ台座に座り登場した猿翁が口上を述べると、客席の中には目頭を押さえる人の姿も見られた。また、夜の部の『ヤマトタケル』でもスーパー歌舞伎では初めてとなる劇中での口上が行われ、猿之助と中車が登場。猿之助が「前例がなければ作ればいいというのがモットーで、不可能を可能にするのが『澤瀉屋』(猿之助の屋号)」と一門を立て、スーパー歌舞伎の創始者である三代目猿之助は「偉大な存在」と語った。中車は1986年の初演を学生時に見た記憶を話し、「まさか『ヤマトタケル』で初めて歌舞伎の舞台に御目見得させて頂くことになるとは、本当に有難く夢のようです」と、熱のこもった口上を述べた。『ヤマトタケル』の舞台では、きらびやかな衣裳を纏った中車が威厳のある帝を演じ、続いて小碓命役の猿之助が颯爽と登場。同じ舞台での共演を果たした。團子はワカタケル役を堂々と演じていた。クライマックスのヤマトタケルの宙乗りでは、観客も大興奮。劇場は感動のるつぼと化していた。最後のカーテンコールには、作者の梅原と猿翁も登場し、会場はスタンディングオベーションとなり熱気と興奮に包まれた。公演は6月29日(金)まで同劇場にて上演。
2012年06月06日6月と7月に東京・新橋演舞場の『六月大歌舞伎』と『七月大歌舞伎』で四代目市川猿之助を襲名する市川亀治郎と、九代目市川中車(ちゅうしゃ)を襲名する俳優の香川照之らが、5月11日、東京・浅草寺で襲名披露興行の成功を祈願してお練りを行った。平日にもかかわらず、浅草寺には大勢のファンが詰めかけ、雷門前に亀治郎、香川と五代目市川團子(だんこ)を襲名する香川の息子政明君、二代目猿翁を襲名する当代市川猿之助が登場すると「おもだか屋!」と猿之助の屋号がそこかしこからかかり、大きな拍手と声援が飛んだ。亀治郎は襲名の実感はまだないそうだが、「わたくしはこの浅草で育てられたと思っております。10年間、浅草公会堂で大役をやらせていただきました。猿之助になっても一門全員でここでお芝居をやらせていただきたい」と浅草の地でのお練りに感慨もひとしおの様子。集まったファンや観光客には「今日写真を撮った方は新橋演舞場に来ていただきたい。twitterでも呟いてください。ぜひ『ヤマトタケル』を観に来てください」とまだチケットが買える6月の夜の部をアピールしていた。歌舞伎の舞台は初めてとなる香川は緊張した様子で、「まさかここでこのようなお練りをさせていただくとは夢にも思いませんでした。感謝しております。少しでも精進し、ご迷惑をおかけしませんように、この大名跡を継がしていただく責任を果たしていきたい」と決意を表していた。政明君は「市川團子を襲名しますけど、どうか宜しくお願いします」と挨拶した。襲名披露興行は6月5日(火)から29日(金)までの『六月大歌舞伎』と7月4日(水)から29日(日)までの『七月大歌舞伎』の2か月、新橋演舞場にて上演される。チケットは6月興行は発売中、7月興行は6月12日(火)より一般発売開始。
2012年05月11日歌舞伎俳優の市川亀治郎が9月27日、都内で会見を行い、来年6月と7月に東京・新橋演舞場の『初代市川猿翁(えんおう)・三代目市川段四郎五十回忌追善興行』で、四代目市川猿之助を襲名すると発表した。同時に、当代猿之助が二代目猿翁に、また猿之助の長男で俳優の香川照之が九代目市川中車(ちゅうしゃ)を襲名することが判った。さらに、香川の長男政明君も、五代目市川團子(だんこ)として初舞台を踏む。会見には亀治郎の父、市川段四郎も登壇した。亀治郎は、自身の人生計画の中では一生名前を変えるつもりはなかったと話したが、伯父・猿之助から「僕のやってきた事を継いで欲しい」という希望を受けて「伯父への恩返しになれば」と襲名を決意したいきさつを語った。隣に座っていた香川は緊張した様子ながら「歌舞伎の世界とは無縁に過ごしてきました。2004年に長男の政明が誕生した事で、この船に乗らなければならない」と140年に渡って続いている名跡を守っていきたいという強い思いがあったことを明かした。香川は現在、45年間無縁であった父・猿之助と今年の春から同居していることも打ち明けた。記者から母(浜木綿子)はどう思っているかと問われると「僕がやろうとしていることにたいしてはエールを送ってくれています。母が許してくれなければ前に進めなかったかもしれない。『ごめんね』と言いました。感謝しています」と答えた。会見の最後には、公の場が久しぶりとなる猿之助も登壇し、記者に手を振るなど愛嬌を振りまいた。弟、息子、甥、孫に囲まれた記念撮影でも、終始楽しげな様子の猿之助は「ありがとうございます。隅から隅まで、ずず、ずいーっと宜しくご宣伝ください」と大きな声で挨拶すると、記者たちから拍手が送られた。なお、同興行は東京公演のほか、2013年1月に大阪・松竹座、3月に名古屋・御園座、6月に九州・博多座、12月に京都・南座で上演される。
2011年09月27日