「奥さんと子どもに好かれたい」第126話。今回は、息子とパパが遊んでいるときのエピソード。息子が突然、怒りの訴えをし、ふいに真理!?をつかれたパパは……。 奥さんと子どもに好かれたい第126話今日もわが家は平和です。 息子は「戦いごっこ」が大好き。自らの拳で戦いを挑んでくるのはもちろん、ヒーロー人形、ぬいぐるみ、ミニカーまで、ほぼすべての遊びは「戦い」を中心に構成されていると言っても過言ではありません。 大概は僕もそれなりに相手をしてやるのですが、疲れのせいで、どうしてもまともに相手をしてやる気が起きないときもあります。子どもと全力で遊ぶには「心・体」どちらかの調子が悪いとかなりきついですよね。いつもどおりヒーロー人形で、カワウソぬいぐるみ大魔王に戦いを挑んでくる息子。疲弊して相手をしてやれる余裕のない父は、「争いは嫌いだから逃げる」とその場を濁すことにしたのです。 我ながら良いアイデア! 平和的で教育にも良いのでは? と思ったの瞬間、息子は「それでは世界は平和にならないではないか!」と怒りの訴えで返してきたのです。ふいに真理を突いた発言!?に一瞬、時が止まりました。たしかに世界は平和のために争っているのかも、だから戦争はなくならないのか…?いやいや、息子は戦いをしたいだけで、そもそもこのカワウソのぬいぐるみは何も悪いことはしていないではないか! そんなことを一瞬思いながら、良い発言をした息子に免じて、その後は戦いごっこに付き合ってあげました。 著者:イラストレーター YUDAI9℃2017年6月4日生まれの男の子を子育て中のパパイラストレーター。奥さんと子どもにどうにかして好かれたい一心で、毎日生きている。普段はこぶたのキャラクター「ポトフスキー」を描いている。
2021年09月17日最近はバラエティ番組でも活躍する、ヒップホップユニット・Creepy NutsのDJ松永さん。ここでは松永さんの純度が発揮される、音楽について伺いました。音楽を「好き」っていうことががんばるうえでの動機として一番強いと思うんです。――‘19年、DMC(世界最大のDJ大会)で優勝されました。そもそもグループ活動と並行して、出場しようと思ったワケは?DJ松永:DJの技でスクラッチってあるじゃないですか。みんな当然やるのかと思いきや、実はあれは特殊技能で、なかなかできる人がいないんです。俺はDJをやるために高校2年で学校を中退したんですけど、当時、地元の新潟ではまだDJとかヒップホップカルチャーに理解のある人が少なくて。俺のことを半笑いで見ている友達に、DJって何なのかを瞬間的にわからせるためには、やっぱりスクラッチじゃないと難しいなって思ったんですよね。そのスクラッチの技を競い合う最高峰の大会がDMCだと知ったので、それを志すしかないだろうと。――何度か挑戦したうえでの世界一でしたが、呪縛から解放されるなど気持ちに変化はありましたか。DJ松永:世界一になるまでは、自分が勝ちきれない呪いみたいなのにかかっていたので、ずっとしんどくて。片や相方のR-指定は、MCバトルの日本一を3連覇しているから、そこと自分を比べて疲弊している部分も大きかったんです。MCバトルだと国内大会までしかないから、日本一っていうのが最高峰。それを3連覇だから、これ以上ない成績を残しているわけですよ。自分はDJがうまいことをアイデンティティにしていたので、うまいと腹をくくっていたら落ち込んだり、Rと比べたりすることもなかったと思うんですけど、自分に自信を持ちきれない部分もあって。でも身の丈以上のプライドとか、自分を大きく見積もるクセがあるから、最低でも日本一とか物理的な結果がないと、自意識に殺されてしまう。そのしんどさに24時間さいなまれていたので、それが解けたのはデカいですね。めちゃめちゃラクになりました。――R-指定さんと自分を比べることもなくなりましたか?DJ松永:そうですね。幸か不幸か相方がめちゃめちゃ優秀なやつなので、相方と比べて落ち込むことも多かったんですけど、自分は自分の持ち場でがんばって、Rが仕事で成果を上げることに対しても、100%すばらしいっていう感情だけで生きられるようになりました。世界一を獲らないと、そうならないっていうのも、なかなか厄介だなって思いますけど(笑)。――そんな優秀な相方さんと音楽を作ることに対しては?DJ松永:好きなアーティストはいろいろいますけど、結局、あいつが上げてくるデモが一番楽しみな新譜だったりするので。そう思えるやつと組めているのは、めちゃめちゃ幸せだなって思いますね。俺らは友達の延長で組んだグループで、二人とも楽しく音楽をやろう、みたいな気持ちが大きいんです。楽しむための音楽なのに、途中で義務感とかビジネスになったら、切ないじゃないですか。ちゃんとやっている瞬間が楽しい。そこが一番大事っていうのは、俺とあいつの中で共通しています。――グループを組んだ時から、変わらずずっと楽しいんですね。DJ松永:とくに俺らがやっているみたいな芸事に関しては「楽しい」「好き」みたいなものが、がんばるうえでの動機として一番強いと実感したんです。名声とか何かを得よう、みたいなのは、返りが少なすぎる。バーンと売れても下がることがあるから、不安定なんですよね。だから成果みたいなものを自分のがんばる動機にすると、落ちた時に辞めちゃうと思います。でも、やっている瞬間が最高だったら、落ちたところで「音楽やれているから楽しくない?」みたいな心持ちでいられるし、またがんばれる。そして、がんばったら楽しくなってまた上がれるから。結局、「好き」っていう動機が一番強いって、やればやるほど思います。ミニアルバム『かつて天才だった俺たちへ』が発売中。表題曲のMVは1100万回再生以上。毎週火曜深夜に放送されている『Creepy Nutsのオールナイトニッポン0』(ニッポン放送)も人気。バラエティ番組では『イグナッツ!!』(テレビ朝日系)にレギュラー出演中。ゲスト出演も多数なので、HPをチェック。ディージェイまつなが1990年8月23日生まれ、新潟県出身。中学2年生の時にヒップホップと出合う。2013年、ラッパーのR-指定さんとCreepy Nutsの活動を開始。‘17年、メジャーデビュー。おもな楽曲は「よふかしのうた」「かつて天才だった俺たちへ」など。‘19年、「DMC WORLD DJ CHAMPIONSHIPS 2019」で優勝。世界一のDJとなる。ジャケット¥45,000パンツ¥29,000(共にタクタク/スタジオ ファブワーク TEL:03・6438・9575)シャツ¥10,000(スリック/ブライト TEL:03・5843・0411)シューズ¥23,000(トス/HEMT PR TEL:03・6721・0882)ソックスはスタイリスト私物※『anan』2021年2月24日号より。写真・野呂知功(TRIVAL)スタイリスト・鹿野巧真ヘア&メイク・藤井陽子インタビュー、文・保手濱奈美(by anan編集部)
2021年02月20日ヒップホップユニット・Creepy NutsのDJ松永さん。最近はソロでバラエティ番組に出演すること多数。その憎めない、というより愛すべきキャラの魅力を深掘り!「え、俺っすか」みたいな気持ちで毎回新鮮にビックリしています。Creepy Nutsが初めてananに登場したのは‘19年夏。セックス特集号の音楽コーナーだったが、その後DJ松永さんは、世界一のDJを決める大会でチャンピオンとなるなど、あれよあれよと大注目の存在に。最近は、バラエティ番組での活躍が目覚ましい。いい意味で空気を読まない瞬発力あるトークが持ち味だけれど、言葉の端々ににじみ出るひたむきさと人柄の良さ。売れっ子の自覚のないプライベートの話など、じっくりと。――この頃ますますご活躍ですね。年末年始の特番にもたくさん出演されていました。DJ松永:本当にありがたいことですよね。『CD(カウントダウン)TV』で年越しの瞬間を任されたのは、だいぶビックリしましたけど。俺らでいいの?攻めすぎでしょって。あと『さんタク』もビックリしました。共演がさんまさんとジャニーズと俺らって。ああいうところに出るなんて、思ってもみなかったですからね。ヒップホップの活動の延長線上には、本来ないじゃないですか。不思議な気持ちでした。――anan的には、昨年末に放送された『「任意同行」願えますか?』のドッキリ企画が気になりましたが…。テレビや雑誌の事前アンケートと偽って用意されていた3媒体のうち、ananだけやたらと未回答が多かったという。DJ松永:あははははは!いやあれ、おかしいと思ったんですよ。雑誌のアンケートって聞いたことがなかったから。ananは何回か出させてもらっていますけど、事前アンケートとかしたことないし、変だなって思ったんです。――そうだったんですね。現在松永さんの衣装を担当されているスタイリストさんとの出会いもananの撮影だったと思いますし、勝手ながらご縁を感じていたので。DJ松永:そうですよね。あの撮影(昨年夏頃)以前は白いTシャツしか着ないっていう謎の決意を決め込んでいたんですけど、白いTシャツは全部捨てました(笑)。今はすべての格好が、ananの延長線上になっています。――(笑)。最近は一人でテレビに出られることも多いですが、松永さんが求められている理由は何だと思いますか?DJ松永:全然わからないですね。自己分析みたいなのが基本的にあんまり得意じゃないんです。毎回、「え、俺っすか」みたいな気持ちですし、毎回新鮮にビックリしています。――でも、お声掛けいただいたら、積極的に出たい?DJ松永:そうですね。必要としていただけるなら。なかなか願っても出られるようなところではないじゃないですか。一人の限られた人生の中で、こういう機会ってそうないので、トライしてみようかなっていう気持ちです。実際に自分に返ってくるものもたくさんありますし、人生経験にもなる。そもそもヒップホップって音楽に興味のある人にしかリーチできないですけど、テレビだとまったく無関係の人に知ってもらえるから、そういう機会は本当にありがたいですね。――時に失礼にもなりかねない素直な発言が的を射ていておもしろいのですが、“良く見られたい”みたいなことは考えないですか?DJ松永:いーや、それを意識できるほど器用じゃないです。ただ、気にはしているんですよね。「嫌われること言っちゃったかな」とかあとから気にして、わーっと落ち込んだりするんですけど、その都度考えて行動できないので。脊髄反射でしゃべるから。ゆっくり考えて言葉を精査して、配慮しながら角を立てずに…っていうしゃべりが、基本的に苦手なんです。だから、制作側から「こういうスタンスでお願いします」って言われてもマジで無理。できませんって説明します。それぐらい苦手で。興味のない話題の時とか、めちゃめちゃ天井見ています。――以前ラジオで、テレビに出るのは本業じゃないから、出るたびに落ち込むと話していましたが、それは緩和されてきましたか?DJ松永:ちょっとずつ慣れてきましたね。最初は自分に期待しすぎて、うまくできなかった事実を深く考え込んでしまうこともあったけど、やればやるほど結局ミュージシャンなんだなって思うようになったので。ずっと音楽をやりたくて、がんばってきて、音楽で一定の成果が出たからスポットライトがあたるようになって。それで離れた世界の人たちが、おもしろそうだなって拾い上げてくれたんだと思うんです。それに実際にバラエティの現場にお邪魔させていただくと、その現場にいるタレントさんや芸人さんは、その世界で一から積み上げて、切磋琢磨してそこに立っている人たちだから、そもそも太刀打ちしようと思うのがおこがましいわけで。去年の秋ぐらいからかな。そう徐々に切り替え始めたら、収録中に天井を見ることに負い目を感じなくなりました(笑)。――今や売れっ子と認めざるを得ない状況だと思いますが。DJ松永:全然なんですけど。――何か環境は変わりましたか?モテるようになったとか。DJ松永:どうなんですかね。人間関係増えていないですし。テレビの仕事も、カメラが回っていないところで親交を深めるとか基本的にないから。LINE交換してください、みたいなことも全然ないっすね。――以前「好きになった人の全部を好きになる」と言っていたのを聞いたことがありますが、ではどんな人を好きになるのでしょう。DJ松永:俺、好きなタイプって聞かれた時に、ポンと出せる答えがなくていつも困っているんです。自分の経験が豊富なわけじゃないから、こういう人が好きとか苦手とか、蓄積されていないんです。うーん…。かわいらしい人もいいなって思うし、大人っぽい人にもその良さがあるし…。選べないよって。――困らせてしまってすみません。DJ松永:恋愛に関しては、マジ小学生なんですよ。そこから成長していなくて。でもほんとに、好きなタイプって聞かれた時に、答えられるようにしたほうがいいですね。ミニアルバム『かつて天才だった俺たちへ』が発売中。表題曲のMVは1100万回再生以上。毎週火曜深夜に放送されている『Creepy Nutsのオールナイトニッポン0』(ニッポン放送)も人気。バラエティ番組では『イグナッツ!!』(テレビ朝日系)にレギュラー出演中。ゲスト出演も多数なので、HPをチェック。ディージェイまつなが1990年8月23日生まれ、新潟県出身。中学2年生の時にヒップホップと出合う。2013年、ラッパーのR-指定さんとCreepy Nutsの活動を開始。‘17年、メジャーデビュー。おもな楽曲は「よふかしのうた」「かつて天才だった俺たちへ」など。‘19年、「DMC WORLD DJ CHAMPIONSHIPS 2019」で優勝。世界一のDJとなる。ジャケット¥45,000パンツ¥29,000(共にタクタク/スタジオ ファブワーク TEL:03・6438・9575)シャツ¥10,000(スリック/ブライト TEL:03・5843・0411)シューズ¥23,000(トス/HEMT PR TEL:03・6721・0882)ソックスはスタイリスト私物※『anan』2021年2月24日号より。写真・野呂知功(TRIVAL)スタイリスト・鹿野巧真ヘア&メイク・藤井陽子インタビュー、文・保手濱奈美(by anan編集部)
2021年02月20日2021年1月26日、演歌歌手の松永ひとみさんが亡くなったことが明らかになりました。53歳でした。松永さんは『おんな笠』や『ねぶた風恋歌』などで知られ、美しい歌声で人気を博していました。サンケイスポーツによると、浴室で転倒したことが原因とみられています。関係者によると、松永さんは独身で1人暮らし。連絡が取れないのを心配した親族が今月21日、マンションの管理人と警察の立ち合いのもと、チェーンロックのかかっている玄関から室内に入り、浴室で倒れているところを発見された。検視の結果、頭部に裂傷をともなう脳挫傷の後があり、転倒した際に頭部を強く打って出血多量などで亡くなったとみられる。死亡推定時刻は19日午後2時から午後3時頃。前日18日に所属レコード会社の社員が電話で2月上旬に予定する仕事の打ち合わせをしたときは、元気な様子だったという。サンケイスポーツーより引用ネットからは、松永さんの旅立ちを惜しむ声が上がっています。・53歳って…早すぎます。足が滑ったのか、体調が悪かったのか。残念でなりません。・一人暮らしだと、浴室での転倒は怖いです。ご冥福をお祈りします。・突然のことで驚きました。同じ青森出身の者として応援していました。残念です。ご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2021年01月26日池袋自動車暴走事故から1年。被害者遺族・松永拓也さん(33)の、最愛の妻と娘とのかけがえのない日常は、突然奪われた。遺された夫が、悲しみと苦しみのなかでもがきながら、踏み出せた“一歩”とは――。『起きて「お父さんお仕事お休みがいい~」と何度も言っていた。公園で1h近くずっとぶらんこに乗っていた』真菜(まな・当時31歳)は、莉子(りこ・当時3歳)が生まれた日から1日も欠かさず育児日記をつけていて、これは、事故の起きる3日前の16日の日記です。几帳面な文字とぎっしりの書き込みを見ただけで、彼女の人柄がわかると思います。当時、莉子は、毎日のように、僕に「仕事を休んでほしい」と言っていました。それから、「おかあさんが焼いたパン、公園で一緒に食べようね」。ずっと母親べったりだったのが、やっと3歳ごろから、お父さんっ子になってきてた。ですが、この先も莉子の成長がつづられるはずの日記は、いきなり中断させられました。日記帳の最後に記された『たく(拓也)帰ってきてたくさんあそんだ。』という青いインク文字をいとおしげになぞるようにしながら、松永さんが言う。松永さんは、2019年4月19日に豊島区で起きた「池袋自動車暴走事故」の被害者遺族だ。妻の真菜さんと一人娘の莉子ちゃんの命を、瞬時に奪い去ったあの忌まわしい事故から1年が過ぎた――。壁のカレンダーも、’19年4月のままです。6月にはディズニーランドに行く予定で、3人とも楽しみにしていました。初めて「イッツ・ア・スモールワールド」に乗ったときの、莉子の目のキラキラが忘れられなくて。カレンダーをめくっちゃうと、自分の時だけが進んでしまう気がするんです。2人の時間は止まったままなのに……。かつて一緒に暮らしたこの部屋にいると、扉の陰からひょっこり2人が顔を出すんじゃないかと思ったり、3人の暮らしが夢だったような錯覚に襲われるのがつらすぎて、僕は事故以来、ずっと近所にある実家に身を寄せています。僕自身、自殺も考えた事故当初の時期を経て、この1年間、多くの転機となる出来事がありました。被害者の会への参加、署名活動、ブログやツイッターでの交通事故防止へ向けての発信など。自分でも精神医学などの本で勉強して試みましたが、なにより多くの出会いや支えもあり、ようやく年明けくらいから気持ちをコントロールできつつあります。とはいえ、正直、まだ無理くりですが……。事故防止に向けて、精力的な活動を続けていた松永さんだが、今回のインタビューのなかで印象的だったのは、終始抑制された加害者の飯塚幸三被告(88)への感情だった。率直に「憎しみはありませんか」と尋ねた――。いえ、絶対、ありますよ。人間ですから、それは否定しません。でも、憎しみを抱いている間は、相手だけにとらわれてしまい、それでは自分がしんどいです。それだったら、生前の2人の顔を思い浮かべて、愛と感謝を思っていたほうが心も安定します。苦肉の策ですが、それが僕なりのやり方。そうして憎しみと処罰感情を分けて考えるように、1年をかけてマインドチェンジしていくことができたという感じです。たぶん、真菜も莉子も、生前に僕の怒っているところは見たことがないはず。だから、2人にそんな姿を見せたくないという思いも、正直ありました。実は、事故の朝、こんなことがあったんです。前日の帰宅が遅くて、寝坊していました。そしたら、キッチンで莉子にご飯を食べさせていた真菜がすごい勢いで僕のもとに駆け寄って、おなかの辺りにギュッとしがみついてきたんですよ。「どうしたの!」「ううん、なんでもない」あのときのことを思い出すと不思議な気持ちになりますし、あの重みは生涯忘れません。僕の中に残っている真菜や莉子の温もりや肌の感触が、今、事故防止の活動でも、日々の生活でも、僕が前に進もうとするときに、そっと背中を押してくれるんです。「女性自身」2020年5月5日号 掲載
2020年04月27日妻・真菜さん(まな・当時31歳)と娘・莉子ちゃん(りこ・当時3歳)の命を奪った池袋自動車暴走事故から1年。被害者遺族の夫・松永拓也さん(33)の、初の実名告白160分。松永さんの心の支えは、今でも、肌に残った妻と娘の温もりだという。1年前、“いつも通りの日々”を送るはずだった、あの日の家族の様子を語ってくれた――。事故当日の19日は、いつもどおり、朝7時10分くらいに家を出ました。莉子はそのころ、彼女のブームだった“おしりバイバイ”で見送ってくれました。お昼休みの、スマホを使ってのテレビ電話も、いつもと同じ。あの日、2人は、自宅から10分ほどの南池袋公園にいました。「お父さん、今日は定時?お仕事、がんばってね」「あれ、珍しく今日は自転車なんだ。気をつけて帰るんだよ」「じゃあね」それが、最後の会話となりました。僕のスマホに、突如、警察から、「奥さんと娘さんが交通事故に遭いました」という電話がかかってきたのは、午後2時ごろ。パニックになりながらも電車に飛び乗って、病院に着くと、医師が「即死でした」と。もう、泣き叫ぶしかなかった。対面した2人の遺体には、顔に布がかぶせられていました。まず真菜の顔をめくったらズタズタなんです、もう、傷だらけで。次に莉子を見ようとしたら、看護師さんが、「娘さんは、見ないほうがいいと思います」。親族からも、「将来、莉子ちゃんの顔を思い浮かべるときに、あのかわいい顔を思い出せなくなるよ」。そうか、と思って。莉子は、その後、業者の方から、遺体を修復するエンバーミングに「顔だけで3日かかります」と言われたほどのひどい損傷でした。後日、遺体が自宅に戻ったとき、やっぱり、どうしても最後に莉子に会いたくて、顔の布を0.5ミリだけでも下げようとして、これはダメだとわかりました。あれ以上、動かしてたら、僕の心は一生壊れていたでしょう。松永さんが、1つ年下の真菜さんと出会ったのは、13年夏だった。わが妻ながら、僕は真菜を人間として尊敬していました。人の悪口や愚痴を言うのを聞いたことは一度もありません。結婚当時、僕はまだ若くて、家計的にも豊かではありませんでした家族を幸せにできるか不安で、つい彼女の前で弱音を吐きました。すると、「私も5人きょうだいで、けっして裕福じゃなかったけど、幸せというのは、お金だけじゃないんだよ。私、今、すごい幸せだよ」。そんなやさしくて気丈な真菜を絶対幸せにする、と胸に誓いました。莉子が生まれたのは、16年1月11日でした。出産は、僕も立ち会いました。生まれた瞬間には、2人同時に「かわいい!」で、うれし泣きでしたね。つくづく、あの場にいられてよかったと思うんです。命の重みというか、一つの生命が生まれるというのはこんなに大変で、神秘的なことなんだと知りました。大変ながらも充実した子育ての日々が、ずっと続くものだと信じていました。事故からおよそ1カ月後には職場にも復帰し、事故防止に向けても精力的な活動を続けていた松永さん。今でも、原動力は、天国で見守っている家族の存在だという。年明けに、こんな夢を見ました。少し背の伸びた莉子が、お風呂から1人で出てきたから驚いて、「えっ、莉子ちゃん。1人でお風呂に入れるの?」「そうだよ、すごいでしょ!お父さん」「すごいね!」そう言いながら抱きしめてたら、横から真菜がいつのも笑顔で、「たく!気持ちはわかるんだけど、体が心配だから、お酒は飲みすぎないでね。飲むんだったら、コレにして」と、ポンと炭酸水を手渡されたところで、目が覚めました。最近、苦手なお酒が増えてるのをわかってたんだなぁ、それにしても炭酸水かぁと、ほんとに久しぶりに笑っている自分に気づいて。僕はもう取り戻せないけど、これ以上、ほかの人たちの、かけがえのない日常が失われてほしくない。いつか自分の寿命が尽きたとき、天国で真菜と莉子が出迎えてくれて、僕は1人でも2人でも「命を救うお手伝いができたよ」と報告できたらそれでいいのかなと、そう思うんです。「女性自身」2020年5月5日号 掲載
2020年04月27日池袋自動車暴走事故から1年。被害者遺族・松永拓也さん(33)の、最愛の妻・真菜さん(まな・当時31歳)と娘・莉子ちゃん(りこ・当時3歳)とのかけがえのない日常は、突然奪われた。遺された夫が、悲しみと苦しみのなかでもがきながら、踏み出せた“一歩”とは――。2人のお通夜の日、僕は葬儀場に泊まって、一晩中、真菜と莉子の棺桶を交互に開けていました。真菜の手を握りながら、「真菜。ありがとう、愛してるよ」。莉子のほうに行ったら、大好きだった『ノンタン』の絵本を読み聞かせて、「莉子ちゃん、ありがとうね。お父さん、莉子ちゃん、大好きよ」。告別式でも、供花の間も、もうこれで2人の体にふれられるのは最後とわかってたから、僕は棺桶の蓋を閉められたくなくて、取り乱してしまった。それから花で埋まって少しだけ見えていた真菜と莉子のおでこにキスして……。最後は親族から、「もうそろそろ」と促されて。それで、なんとか喪主の挨拶を終えると、やがて棺桶も閉じられて。それが、2人との本当のお別れでした。事故以来、最初の1週間はほとんど食べられなかったし、眠れなかった。本気で死ぬことも考えました。初めての記者会見は、事故から5日後だった。松永さんは、真菜さんと莉子ちゃんの写真とともにのぞんだ。時には嗚咽を漏らしながら心情を吐露する姿は、日本中に、高齢者ドライバーの運転についての議論を巻き起こした。実況見分後、加害者の飯塚幸三被告(88歳・旧通産省工業技術院元院長)は、8月にも逮捕されるだろうとの大方の予想を裏切り、任意の取調べが続き、世間やマスコミでは“上級国民”なる言葉が話題となる事態に――。ちょうど事故から1カ月が過ぎたころですが、1通の手紙が届きました。「関東交通犯罪遺族の会(あいの会)」代表の小沢さんからで、「どうか1人で悩まないで」という手紙と一緒に、被害者と遺族の道標となる「被害者ノート」も同封されていました。交通事故防止に向けて社会に訴えていこうとしている思いを知り、自分もともに活動したいと、事故後に初めて希望を感じました。この後、松永さんは7月に署名活動を開始。約39万筆の署名を集めて東京地検に提出した。署名活動と同時に、家族ビデオも公開しました。内容は、事故前年のわが家の父の日の様子です。玄関先で、真菜と莉子が僕をサプライズで迎えてくれる、いわば家族の日常。何げない日常がある日突然奪われるのが交通事故なんだと、実際に奪われてしまったんだと、それを伝えたかった。9月には、自転車や血まみれの真菜の衣服など遺品が戻ってきました。あの頑丈な自転車が真っ二つになっているのを目の当たりにしたときはショックでした。いちばんきつかったのは、莉子が使っていたチャイルドシートの足元が割れていたこと。せめて痛みを感じていなければ、と願うしかなかったです。年が明けて20年2月6日、飯塚被告を東京地検が過失運転致死傷罪で在宅起訴。ようやく、あとは裁判の開始を待つところまできた。それを受けての記者会見。「この10カ月、悲しみと苦しみのなかでもがきながら、ようやく一歩が踏み出せます」。そう、松永さんは語った。2人の命が戻らないのはわかっていますが、真実を明らかにしたい。そうでなければ、再発防止のタネに使えないじゃないですか。加害者には命の尊さを知ってほしいし、犯した罪に相応の処罰を受けることが、今後の事故防止にもつながると思います。そのためには、僕も被害者参加制度を使って、公判では自分なりに真実を追求したい。正直、事故から1年たったというのは、遺族の僕にとっては、ただの日付に過ぎない。この先も日々、2人の死と向き合っていくのは変わりません。たとえ裁判が終わっても、あいの会の活動を通じて、交通事故防止に向けて取り組んでいくことも同じです。「女性自身」2020年5月5日号 掲載
2020年04月27日吉本新喜劇の女優で、アイドルグループ・吉本坂46のメンバーとしても活躍している小寺真理(28)。“可愛すぎる新喜劇女優”と呼ばれるほどのルックスを誇り、吉本坂46の1stシングル個別CD売上では1位に。吉本坂46の活動を通じて大阪から全国区へと、知名度拡大中だ。吉本坂では若手中心のユニット・REDに所属し、2ndシングルでレインボーの池田直人とともにWセンターに抜てき。さらに、2ndシングルで行われたユニット別CD売り上げ対決によってREDが表題曲を担当する3rdシングル「不能ではいられない」(12月25日発売)でも、池田とともにWセンターを務める。昨年12月の吉本坂46デビューから1年、小寺自身はどのような手応えを感じているのか本人を直撃。新喜劇と吉本坂の相乗効果や、今後の目標についても話を聞いた。――吉本坂46のデビューから1年を振り返ってみていかがですか?吉本坂46に入ってから、グラビアやドラマなど、今までとは全然違う仕事をさせてもらっています。また、私はこれまで大阪でずっと仕事をしていて、吉本坂46に入ってからココリコの遠藤(章造)さんとか極楽とんぼの山本(圭壱)さんとかテレビで見ていたスターとご一緒させてもらっている感じがしています。同じ事務所だけど会う機会がなかったので。今はほかの現場で吉本坂46のメンバーに会うとすごくほっとしますし、吉本坂46の後に新喜劇に戻るとすごく大事な場所に思えて、両方とも大きな存在やなということに気付くことができました。――1stシングルの個別CD売上で見事1位に。そうなんです。奇跡が起きました(笑)――1位になったときはどう思いましたか?手売りを頑張ったり大変だったので泣けるのかなと思ったら、2位の池田君が号泣しながらすごくいいことを話して、私言うことないなって(笑)。でもあの対決はなかなかしんどかったです。握手会は人数の違いがあってもはっきりわからないんですけど、これはしっかり順位が出るのでドキドキしました。――1位になったことで意識の変化などありましたか?「あの人が1位なんだよね」って周りの人が言ってくれるので、1位としてちゃんとしないといけないんだなと思うようになりました。――新喜劇と吉本坂46の両立は大変では?私はダンスが一番苦手で、新喜劇の公演終わって夜10時半くらいから朝5時までダンス練習して、朝の9時45分から新喜劇の公演に出るとか、ミュージックビデオの前は死にそうになるんですけど、努力をすることが苦ではなくなりました。芸人ってあんまり頑張っている姿やしんどい姿を見せないし、新喜劇は前日に稽古するくらいなのでそういうところを見せないんですけど、吉本坂はファンの方が裏側も興味を持ってくれているので、私たちも「こんなにやっているからこれができあがっているんだよ」っていうのも見てもらいたいと思っています。――両方に所属しているという相乗効果は感じていますか?吉本新喜劇のエンディングで吉本坂の楽曲を流してくれたりとか、アイドルの役があったら「小寺ちゃんにしよう」ってやらせてもらったりということはありますね。――吉本坂でファンになった方が新喜劇を見に行くということもあると思いますが、そういった手応えは?そういう方もいますね。新喜劇はいつも拍手が多いんですけど、たまに「まりこり~ん!」って声をかけてくれたり、名前を書いたうちわを持ってくれていたり、吉本坂の感じで応援してくれる方がいます(笑)――まさに架け橋ですね。そうですね! どちらかをきっかけで好きになってくれて、両方とも好きになってくれるというのはすごくうれしいです。――グラビアやドラマなど、いろいろな挑戦をされていますが、ご自身の目標を教えてください。NHKの朝ドラに出たい! これまで6作くらいずっと朝ドラのオーディション受けていて、落ちているんです。最終まで残ったこともあったんですけど。新喜劇のメンバーで出ている人もいますし、自分も出られたらいいなと目標にしています。――吉本坂46での目標は?やはり紅白に出たいというのが大きな目標です。それまでにMステとかにも出たいですし、一つ一つ叶えていけたらなと思います。■プロフィール小寺真理1991年8月31日生まれ。大阪府出身。2010年、NSC大阪校 女性タレントコース卒業後、吉本発ガールズユニット・つぼみに参加。2014年に同ユニットを卒業し、吉本新喜劇メンバーとしてデビュー。整った顔立ちから“かわいすぎる吉本新喜劇女優”として知名度を上げていく。2018年、吉本坂46第1期生オーディションを経て、同グループの創立メンバーに選出。1stシングル個別CD売上では1位に輝き、2ndシングルで所属するユニット・REDのWセンターに抜てき。RED初の表題曲となる3rdシングル「不能ではいられない」(2019年12月25日発売)でも、前作に引き続いて池田直人とともにWセンターを務める。
2019年12月27日ヴァイオリンの川久保賜紀、チェロの遠藤真理、ピアノの三浦友理枝という、素敵な3人のソリストによるトリオが結成10周年を迎える。プログラムには坂本龍一とショスタコーヴィチが並ぶ理由として、「坂本龍一こそが、ショスタコーヴィチ以来、最も重要なピアノ・トリオの作曲家だから」という彼女たちの言葉が新鮮だ。時代もスタイルも異なる日本とロシアの作曲家2人の作品を続けて聴くことによって見えてくるものとはいったいなんだろう。その答えがクリスマスに紀尾井ホールで開催される「10周年記念コンサート」の中にある。結成から10年を経て、深化に進化を重ねた3人組は、見ても聴いても楽しいこと請け合い。さらにはコンサートに合わせて制作されたアルバムも要チェック!●公演概要12月25日(水)紀尾井ホール<曲目>坂本龍一:ラストエンペラー、レイン、美貌の青空、シェルタリング・スカイ、M.A.Y. in The Backyard、メリークリスマス・ミスター・ローレンスショスタコーヴィチ:ピアノ三重奏曲第1番 ハ短調 Op.8、ピアノ三重奏曲第2番 ホ短調 Op.67●CD情報『ショスタコーヴィチ:ピアノ三重奏曲第1番、第2番』2019年12月18日発売AVCL-84101定価:¥3,000(本体価格)+税『ピアノ三重奏 坂本龍一曲集』2019年12月18日発売AVCL-84102定価:¥2,000(本体価格)+税●川久保賜紀(ヴァイオリン)2001年サラサーテ国際ヴァイオリン・コンクール優勝、2002年チャイコフスキー国際音楽コンクール・ヴァイオリン部門最高位受賞以来、主要な北米オーケストラと共演し、豊富なステージ経験を積む。日本では1997年、チョン・ミョンフン指揮アジア・フィルのソリストとしてデビュー。以後、国内外の様々なオーケストラと共演を重ね、高度な技術と作品の品位を尊ぶ深い音楽性に高い評価を得ている。近年は自ら企画するコンサートを行うなど、コンサート・プロデューサーとしての才能も発揮。2018年より桐朋学園大学院大学(富山校)教授に就任。●遠藤真理(チェロ)第72回日本音楽コンクール第1位、2006年「プラハの春」国際コンクール第3位(1位なし)、2008年エンリコ・マイナルディ国際コンクール第2位。ジャン=ピエール・ヴァレーズ、山田和樹など国際的に活躍する指揮者やウィーン室内管、プラハ響と共演するなど国内外で高い評価を得ている。ソリストとしてだけでなく読売日響のソロ・チェロ奏者も務める。NHK大河ドラマ「龍馬伝」の龍馬伝紀行Ⅲの演奏、NHK-FM「きらクラ!」(毎週日曜日/全国放送)ではパーソナリティを務めるなど幅広く活躍している。●三浦友理枝(ピアノ)東京生まれ。2005年、英国王立音楽院大学課程を首席で卒業。2007年、同音楽院・修士課程を首席で修了。2001年「第47回マリア・カナルス国際音楽コンクール」ピアノ部門第1位、および金メダル、最年少ファイナリスト賞、カルロス・セブロ特別メダル賞受賞。2006年「第15回リーズ国際ピアノ・コンクール」特別賞受賞。2005年、エイベックス・クラシックスよりCDデビュー。2018年、6枚目のソロアルバム「ショパン:バラード&スケルツォ」をリリース、「レコード芸術」特選盤に選ばれる。2016年、第26回新日鉄住金音楽賞〈フレッシュアーティスト賞〉を受賞。
2019年12月20日小高真理によるマラミュート(malamute)。2014-15年秋冬コレクションでブランドをスタートさせてから、2019年春夏シーズンにみせた初のランウェイショー。
2019年01月04日荒川弘の大人気コミックを原作に、山田涼介主演で実写映画化した『鋼の錬金術師』。いよいよ公開を来月に控えた本作から、大迫力のアクション映像の数々、“真理”のビジュアルが収められた、手に汗握るIMAX(R)予告映像が到着した。すでに、IMAX(R)での上映が決定している本作。今回到着したIMAX(R)の予告映像では、山田さん演じるエドの錬成シーンのほか、エドとアルの兄弟の前に立ちふさがるホムンクルス(人造人間)、エドたちを見守る「焔の錬金術師」と呼ばれるマスタング大佐(ディーン・フジオカ)の緊迫感に満ちた迫力ある映像の数々が収録。また本映像にも登場するストーリーの鍵を握る、「真理の扉」をくぐった先にいる者のビジュアルも公開。エドもアルとともに幼き日に最愛の母を生き返らせようと錬金術師にとっての最大タブー“人体錬成”を無謀にも試み、「真理の扉」に…。錬金術の等価交換の法則に基づき、その“通行料”として、2人の兄弟は大きな代償を支払うことになったのだ。『鋼の錬金術師』は12月1日(金)より全国にて公開。(cinemacafe.net)
2017年11月07日今、注目の女の子を紹介する『anan』で連載中の「イットガール」。今回は女優の松永有紗さんです。大舞台のヒロインを演じる運動神経抜群のアクティブガール!8月から公演の舞台『四月は君の嘘』で主演する松永さん。今の心境は?「舞台にも挑戦したいと思っていたとき、原作を読んでいた作品の主演が決まって本当に嬉しいです。大きな舞台は初めてなので緊張しますが、ワクワクしています!」。アイドル、モデルを経験し、現在女優として活躍している松永さんの今後の目標は?「石原さとみさんみたいに、いろんな役にハマる女優になりたいです。具体的には、青春モノの学園ドラマで、特技のバトントワリングが活かせる役を演じられたらいいな~!」派手な小物を集めるのが好き。イヤリング、サングラス、ネックレスなど。古着屋さんでよく購入します。見た目の可愛さで気分が上がるリップ。鮮やかなピンク、オレンジ、赤が多め。今は、ランコムが一番好きです♪空を眺めると、癒されるんです。一駅前で降りて、空を眺めながら歩くのが至福のとき。無心になれます。まつなが・ありさ1998年生まれ。女優の他、アイドルグループ「リンクSTAR‘s」でも活動中。主演する舞台『四月は君の嘘』は8月24日から東京で、9月7日から大阪で公演が始まる。※『anan』2017年8月9日号より。写真・土佐麻理子文・松下侑衣花(by anan編集部)
2017年08月07日〜男の理想はマリリン・モンローの真理とは〜大概の男性の理想の女性はマリリン・モンローが演じたような女性です。頭のネジがひとつふたつ緩んでいるように見えるお人好しの女性。マリリン・モンローに限らず現代の女優さんやアイドルの方でもスタイルとルックスが良くちょっとボケている位の子が男性に人気でしょう?その真理は、男というのは「俺が守ってやるんだ」という保護本能を掻き立てられ自分の方が上から目線で見下せることを望んでいるからです。女性に人格的に高い場所から見下されると、男性は劣等感が強いので、性欲・劣情を抱けなくなるどころか、自分の教養の無さや人格的な至らなさ、弱さを見透かされることに我慢ならないのです。だから男は頭のネジが緩そうに見える女性を好むのです。もちろん中には、静かでインテリジェンスなたしなみを備えた女性を好む自信たっぷりな男性もおります。しかし、世の男性がどうであれ、大切なことは、あなたがあなた自身を含め自分と同じ場所で和やかに心地良く咲ける相手であるかどうか、まず花の資質を見極めることです。形ではなく。
2017年04月20日約3年前、ここのがっこうの卒業制作発表で出会ったファッションデザイナー・中里周子と伊勢丹新宿店TOKYO解放区担当バイヤー・寺澤真理。ファッションを愛する2人が語る「ファッションの未来」、そして「真面目と不真面目」とは?■宇宙には夢がある。だから、みんなの「見たい!」をカタチにしたー今回は宇宙に伊勢丹の支店を出すというコンセプトですが、宇宙ってそれだけで未知ですよね。中里周子(以下、中里):宇宙には単純に夢がありますよね。広がりもでますし。今回は本当に多くの人に企画に協力して頂いて、なんとエジプト考古学の吉村作治先生もアイシングクッキーに恵比寿様のような出で立ちで登場しています。周りにスフィンクスたちを引き連れているという(笑)JAXAさんから宇宙服もお借りしてきました。私の昔のバイト先「青山TWINS」とも、くすっと笑ってしまうような、人の心をくすぐるような物を作らせて頂きましたど。みんなが「見たい!」と思うものを一緒に作り上げていった感覚です。寺澤真理(以下、寺澤):みんながみんな、業務だからみたいなことだけじゃなくで「何か面白いものが待っているかもしれない!」っていう熱量で動いているなという感じでしたね。そういったプロセスにも可能性があると思います。中里さんには「何かその先にある」と思わせる才能があると思っています。■ファッションからは、人間に対する愛を感じるー中里さんは「ファッションデザイナー」という肩書きを使われていますね。何か拘りがるのでしょうか?中里:アーティストという括りで紹介されることも多いのですが、「ファッションデザイナー」であることには拘っています。私が言う「ファッションデザイナー」とは“人間に関わる全ての接触のカタチを提案する人”という意味。ファッションをやっているからこそ、人に対して提案する何かがあると思っています。16SSのロエベで、J.W.アンダーソンが脚にラップみたいなものを巻いてきたように、ファッションだからこその人に対する無理強いのようなものがあるように感じますね。この重くも軽くも人間に対して反応できることこそ、ファッションだからこそ持ち得る人間に対する視点だなと思います。人間に対する愛を感じる。ファッションだからこそ持ち得る、人への愛。これが大事。■「真面目」を知っているからこそ、「不真面目」になれるーこのファッションにおける攻め感を受けて立つ時の感覚を言葉で表現するならば?中里:絶対的な美であるモードに対して、「ヘタレ」で挑戦していくことですね。パッと手のひらを返すような美意識を打ち出すことで、モードを翻すこと、それが「ヘタレ」です。もう一つ「不真面目」には美があるんじゃないかとも考えています。「ヌケ感」の底面には「不真面目」があるんじゃないかという考え方です。「モード」と「アンチモード」という二項対立ではなくて、「不真面目」って、全然違うレイヤーにいてひょっとやって来るようなイメージなんです。だから「モード」に対する「アヴァンギャルド」、分かりやすく言えば、コムデギャルソンのような反骨精神を持つことは、「不真面目」とはまた違ったもののような気がします。「不真面目」をイメージするなら、90年代だったらブレスの「自分たちは友達が大事だし、ここで飲みながら展示会やるよ」っていう空気感。だから、「不真面目」とは「おしゃれ」とも近い感覚ですね。「不真面目」なだけだったら心は動かない。「おしゃれ」と「不真面目」と「エレガンス」、この要素がファッションには必要だと考えています。寺澤:それに近い感覚だと「ユーモア」と「知性」と「インテリジェンス」がありますね。ユーモアは誰かをけがしたり、傷つけたりする訳ではないし、そもそも知性がないとユーモアが生まれない。だから「不真面目」も「真面目」を知っていないと生まれないんですよね。その「真面目」から「不真面目」への外し方にその人の個性が出る。それが美意識だと思います。ーいずれにせよ、ファッションにおける立ち位置が、個人の美意識による訳ですから、非常に人間らしい振る舞いと言えそうですね。寺澤:それに、人に対する愛情が表現に繋がっている人のファッションには、こちらも熱量や愛をちゃんと感じますね。そこに愛情がない場合は工業製品かのように感じてしまう。TOKYO解放区の役割はお客さまに「ファッション」を提案することなんだと思っています。モノを買う時の、心が突き動かされる感じ。商品というモノにはなっているのだけど、気持ちがこもってるものが持つ力を私は信じていて、それを共有できる人と一緒に仕事をしたいと思っています。ストーリーがあるファッションの方が、きっとみんなを幸せにするし、寒さが凌げるとか機能をうたったファッションより、これからの未来はより役に立つんじゃないかなと感じています。これからは「思いを持った人」「感覚を大切にする人」が、人間同士いい仕事が出来るんだなと思います。■ISETAN宇宙支店も、だれかの「なんか楽しい」になりたい中里:今回の企画「ようこそ、ISETAN 宇宙支店へーわたしたちの未来の百貨店ー」も多くの人にとっては「はてはて」と思うんじゃないかと思います。寺澤:一つ思うのは、今回の企画にはこれからの未来にとって何かしらのヒントがあると思っています。私が約3年前、中里さんの卒業制作を見て「はてはて、まったく理解出来ないぞ。でも、なんか楽しい」と感じたみたいに、考え方だったり、発想だったり、気付きが噛み締めていくと見つかると信じています。そして、中里さんは、そういったヒントを与えてくれる人なんだと思います。■たとえ買ってくれなくても、作品が誰かの「ネタ元」になったら嬉しいー中里さんの考える未来の自分はどんなイメージですか?中里:大事にしているのは、「ネタ元」でありたいということです。私の作品を見て、買ってくれなかったとしても、その概念や心意気から何かを感じ取ってもらいたいと思っています。私はよくこういった(馬の時計)ものを買うんですけど、時計なのに時計はちっちゃいし、馬のしっぽと身体は質感が違うし「何でそこまでするの!」という意識が発動して、自分だったらこの馬の時計をどう別のものとして表現出来るかを考えてしまいます。そこから、次の提案のアイデアが生まれてくる。自分の作品はそういうネタ元であって欲しいと思っています。身近なところでは、水槽のカタログも作ってみたいし、ドバイにも今は興味があります(笑)。あと2年以内にドバイ進出したいです。アラブ圏ではジュエリー感覚で、鷹を手に乗せているみたいだし。自分達が理解出来ない美意識に、あえて挑戦したい気がします。あとは、ビジネス面を強化していきたい。本当は5000%の熱量で作品作りに向き合うことはいくらでも出来るけど、自分が夢中になってしまうと、周りの人のことが見えなくなってしまう。だから80%の力で全体を俯瞰する力も必要だなと思っています。そう考えると「NORIKONAKAZATO」も「自己表現の場」というだけでなく、ブランドとしての振る舞いを俯瞰することで、いろんな可能性が見えてくるのかなと最近考えています。【イベント情報】タイトル:ようこそ、ISETAN 宇宙支店へーわたしたちの未来の百貨店ー会場:伊勢丹新宿店本館2階=センターパーク/TOKYO解放区会期:15年12月26日から16年1月12日前半「中里周子×寺澤真理『ファッション×デジタルを考えたら、宇宙に行き着いた』」へ戻る。前半「中里周子×寺澤真理『ファッション×デジタルを考えたら、宇宙に行き着いた』」へ戻る。
2016年01月03日手塚治虫が死の縁まで綴っていた日記の一節を原案に映画化をした『トイレのピエタ』。公開を前日に控えた5日(金)、タワーレコード渋谷店にて松永大司監督と杉咲花さんがトークショーを行った。実は今回が初対談ということで、監督から「二人だと嫌だって言われると怖いな」というと、杉咲さんからすかさず「これ、楽屋でも言われたんですけど、本当にやめて欲しいな、って思っています」と突っ込みが。すると監督は監督で、「泣かされたって杉咲が色々なところで言っていますけど、虚像ですよ、虚像!」と報道を否定。それを聞き、不服そうな杉咲さんの可愛らしい姿に、会場は温かい笑いで包まれた。本作では、パワフルな役を演じた杉咲さんだったが、オーディションでの初対面では、びっくりするほど声が小さく「この子はないだろうな」って思ったと監督が激白。とはいえ、芝居をした瞬間からのパワーがものすごく、そのギャップに惚れ込み、1年間オーディションを行ったとはいうものの、即決だったそうだ。一方で、監督との思い出はやっぱり泣かされたことですか?とMCから尋ねられた杉咲さんは「そうですね。泣かされたことですね」と応答。「監督の第一印象は、すごく大きくて、前髪が斜めだな、って…」というと会場からは笑いと拍手が起こり、「おいおい、拍手が起こっているじゃないかお前!」と監督が苦笑。お互い信頼関係を持ちながら、すっかり打ち解けている様子だった。完成作品を観た杉咲さんは「監督からの最高のプレゼントだなと思いました。凄いものに出逢ってしまったからこそ、ピエタを超えるものを創らないといけいと思いました」と絶賛。また本作は、「RADWIMPS」の野田洋次郎さんが映画初主演を務めるということでも話題を集めている。杉咲さんは、野田さんについて「ずっと宏(本作での役名)でした。とにかく冷静で繊細で気がついたらみんなが宏を見ているような素晴らしい方でした」と魅力を話した。小説としても楽しめるこの作品について、監督は「理想は、映画を観て、本を読んで、また映画を観てもらいたいです。杉咲花という少女のようなあどけない時から、女の子に変わっていく貴重な過程を収めさせてもらったので、ドキュメンタリーとしても是非味わって欲しいです」とPRをした。『トイレのピエタ』は6月6日(土)より 新宿ピカデリーほか全国にて公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:トイレのピエタ 2015年6月6日より新宿ピカデリーほか全国にて公開(C) 2015「トイレのピエタ」製作委員会
2015年06月05日東京都・恵比寿のTRAUMARIS|SPACEにて、両足義足のアーティスト・片山真理の初個展「you’re mine」展を開催している。開催期間は2月15日まで(月火休)、開場時間は13:00~24:00(日曜は14:00~22:00)、入場は無料。同展では、片山自身の身体を型取りした石膏像になめし革のパッチワークを施した立体と、等身大のセルフポートレート写真から構成される新作「you’re mine」を発表している。フェミニンな装飾をほどこした少女時代の義足や小さなオブジェなどの親密な品々でびっしりと飾られた部屋を再現したインスタレーションや、自身の身体をなぞる行為としてのセルフポートレート、特注したハイヒールの義足を着け190cmという迫力のプロポーションを生かしたパフォーマンスと、片山の作品はすべて、生まれもった特別な身体を媒介に、これまでの人生で身につけた生活の知恵と想像力から生まれてきた。さらに2013年には、フランス・マルセイユでダンスカンパニー「BABY Q」のパフォーマンス公演と仏ブランドのファッションショーに出演。2014年は、NHK「バリバラ!」でのインスタレーション作品発表、同番組制作のドラマ「悪夢」に出演するなど、その表現活動はさらに領域を広げている。なお、片山真理は1987年埼玉県生まれ、群馬県育ちのアーティスト。2010年、群馬県立女子大学文学部美学美術史学科卒業。2012年、東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻修了。9才の時に先天的な理由で両足を切断して以降、義足で暮らしている。東京藝術大学大学院に進学した後、2012年の「アートアワードトーキョー丸の内」ではグランプリを受賞、2013年には「あいちトリエンナーレ」に最年少で参加を果たすなど、作家としての活動を本格化させている。
2015年01月23日純白のウェディングドレスで元モーニング娘。でタレントの矢口真理と俳優の中村昌也の夫妻が22日、都内ホテルで披露宴を行った。この日は2人の入籍からちょうど1年となる結婚記念日。幸せいっぱいの姿を見せ、モーニング娘。の新旧メンバーをはじめ、芸能関係者ら約260名の出席者から、おおいに祝福を受けた。矢口は純白のウェディングドレス姿を披露。大きな花のモチーフも添えられた立体的なベールも華やかで、やはりいつもとは違う特別な美しさをみせた。スカイツリーとも一緒でよい記念に挙式は披露宴前に、東京・青山のセントグレース大聖堂にて行われたという。矢口のウェディングドレス姿をこの日初めて見たという中村は、素敵すぎると大絶賛。あらためて仲むつまじい夫婦であることを感じさせた。この日はちょうど東京スカイツリーが開業した日に重なったことから、よりいっそう忘れられない記念の日となったと喜んだ2人。ウェディングケーキも、スカイツリーの1000分の1サイズでオリジナルケーキを制作したそうだ。これからも幸せな家庭を築き、それぞれの場でおおいに活躍してほしい。元の記事を読む
2012年05月23日挙式はご両親の結婚記念にちなんで11月。元女子バレーボール日本代表の落合真理さんが、2012年5月16日に会社員の男性と入籍することになったと発表があった。自身のブログでも「ご報告☆」と題して入籍予定の旨を報告している。挙式や披露宴は、落合さんと相手の男性のご両親の結婚記念日でもある11月の予定。仲のいい二人の写真もブログに掲載されている。幸せいっぱいのコメントも。バレーボールを引退後も、モデルやタレントとして新しく活躍している落合さん。入籍後も、仕事は続けていく方針のようだ。彼はとっても優しくて、誠実で、スポーツマンで、いつも私を笑わせてくれながら、包み込んでどんな時でも守ってくれる、生涯最高のパートナーです。と、幸せなコメントがブログで語られていた。元の記事を読む
2012年05月08日