寺院共存型ホテル「三井ガーデンホテル京都河原町浄教寺」が、京都河原町にオープン。寺院×ホテル「三井ガーデンホテル京都河原町浄教寺」がオープン「三井ガーデンホテル京都河原町浄教寺」は、多聞山鐙籠堂浄教寺との一体化を実現した新発想のホテル。「浄教寺」を次代へ遺すため、寺院とホテルが連携したユニークな複合建物として三井不動産によって開発された。「次世代に向けた寺のホテル」をコンセプトに掲げ、寺を継承する使命や寺を身近に感じてほしいという“住職の願い”を込めて、この場所でしか体感できないホテルステイを提供していく。位置するのは、阪急京都本線「京都河原町」駅から徒歩約1分、史跡や老舗の宝庫である「寺町通」沿い。徒歩圏には昼夜ともに賑わう四条河原町や先斗町、祇園があり、京都観光の拠点としても便利な場所だ。寺の風情を感じられる新発想のホテルホテルのデザインは、「余白を大切にした、詰め込まない世界」をコンセプトとし、空間全体に敢えて余白をつくることで、本来の美しさを際立たせる演出にこだわった。白と黒を基調に古木をあしらった柱や浄教寺由来の装飾品などを随所に配した、優雅で静穏な空間は、寺ならではの風情と美術館のような雰囲気をあわせもつ。本堂を眺められる開放的なロビーエントランスを抜けると、訪れたゲストを出迎えるのが高さ約7m・2層吹き抜けの開放的なロビー。ここでは、アーティスト・宮村弦による力強い毛筆ビッグアート、再建前の浄教寺において、本堂の柱を貫通する虹梁に装飾されていた「木鼻」などを目にすることができる。また、ロビーと浄教寺との間に設けられた小窓から、荘厳な本堂内を眺めることもできるのもこのホテルならではの魅力だ。“手水鉢とアート”が浮かび上がる幻想的な大浴場大浴場は、入浴時にも寺の所作を体感できるよう、手水鉢のオブジェと、その背景に水墨画を連想させる光壁アートを配置。その他の内装はブラックアウトさせることで、まるで手水鉢とアートだけが浮かび上がるような幻想的な空間をつくりだした。寺の趣を感じられる客室客室には、グループ旅行に適したトリプルタイプ、靴を脱いでくつろげる畳のスペースを設けたタイプなどが用意されており、家族旅行でも友達同士の旅行でも利用可能。各客室に、寺の趣を感じられる、手水鉢から着想を得たアウトベイシンスタイルの洗面台や、浄教寺の象徴である燈籠をモチーフにした照明を設えている。「朝のお勤め」を体験できる宿泊プラン“寺院共存型”ホテルならではの特別な宿泊プランとして「朝のお勤め体験確約プラン」を用意。本堂で毎朝行われる浄土宗の「朝のお勤め」を一緒に体験できるほか、プランの特典として浄教寺の御朱印記帳も行われる。福岡の和食名店「僧伽小野」の2号店宿泊者以外も気軽に利用できる2階レストランには、ミシュランガイドへの掲載実績のある「僧伽小野 一秀庵」の2号店となる「僧伽小野 京都浄教寺」がオープン。朝食は、プレート形式で提供され、浄土の世界観を表現した野菜ちらし寿司「僧伽ちらし寿司」をはじめ、「鰻の卵とじ」「鰻のかぶら蒸し」「天ぷらと鯛茶づけ」の4種類からメイン料理を選ぶことができる。昼食では、ミシュラン掲載店「赤間茶屋 あ三五(あさご)」直伝の手打ち蕎麦も用意。夕食では、「吉兆」で長年腕を振るった料理長こだわりのすっぽん料理のほか、鰻やハモなど旬の食材を用いたコース料理などを展開する。ホテルと一体化される「多聞山鐙籠堂浄教寺」とは「多聞山鐙籠堂浄教寺」は、通称“浄教寺”と呼ばれ、正式名称を国宝の三門で有名な知恩院を総本山とする浄土宗の寺。承安(1171年~1175年頃)に創建され、平清盛の長男・平重盛が東山小松谷の邸内に四十八間の御堂を建てたことに由縁がある。1449年、後花園天皇より「浄教寺」の寺名を下賜され、五条東洞院移転を経て、豊臣秀吉の洛中寺社整理により1591年に現在の地、寺町通に移転。今回のホテルとの一体化による再開発により、永い歴史や伝統を継承しつつ、次の100年を見据えた新しい寺院像となることを目指す。【詳細】三井ガーデンホテル京都河原町浄教寺オープン日:2020年9月28日(月)住所:京都府京都市下京区寺町通四条下る貞安前之町620番チェックイン:15:00 / チェックアウト:11:00TEL:075-354-1131アクセス:阪急京都本線「京都河原町」駅から徒歩約1分、京阪本線「祇園四条」駅から徒歩約7分構造規模:鉄骨造 一部 鉄筋コンクリート造 地下1階、地上9階客室数:167室付帯施設:レストラン(2階)、大浴場(2階)<レストラン「僧伽小野 京都浄教寺」概要>営業時間:朝食 6:30~11:00(最終入店 10:30)昼食 11:00~15:30(最終入店 14:30)夕食 17:00~21:30(最終入店 20:30)※一般来客も利用可。※営業時間に変更が生じる場合あり。座席数:70席朝食:プレートでの提供TEL:075-708-8868※全席終日禁煙
2020年11月05日新元号発表まであと1日、この平成の時代も、あとわずかとなりました。次の元号は何になるのだろう……なんていう会話もそこかしこで聞こえています。春の桜が咲き誇る季節に新しい元号に……考えるだけでワクワクしますね!監修・東進ゼミナール 特進部 社会科 加藤晃実は知っている「昔の元号」タイトルにある「知らないようで実は知っている」って何?と思った方も多いと思います。たいていは「知っているようで知らない」ですよね。実は中学校の歴史の勉強で、みなさんは思っている以上に、「元号」について勉強しているんですよ。中には、「あれ、これ元号だったんだ!」なんてものもたくさん出てきます。江戸時代までで学習しているはずのものを並べてみます。実は、【 】内はすべて元号なんですよ!(1)【大化】の改新(2)【和銅】開珎(3)【天平】文化(4)【保元】の乱(5)【平治】の乱(6)【承久】の乱(7)【貞永】式目(御成敗式目)(8)【文永】の役(9)【弘安】の役(10)【永仁】の徳政令(11)【建武】の新政(12)【正長】の土一揆(13)【応仁】の乱(14)【文禄】の役(15)【慶長】の役(16)【慶安】の御触書(現在は江戸幕府ではなく、甲府藩が出したものと判明しています)(17)【元禄】文化(18)【享保】の改革(19)【寛政】の改革(20)【化政】文化(文化・文政年間に栄えた文化)(21)【天保】の改革(22)【安政】の大獄どれくらい覚えていましたか? 聞いたことがあるものも多いと思います。「元号」って意外と勉強しているものなんです。ちなみに、近年の元号にはどんな意味があるのか、少し見てみましょう!元号の意味明治五経の1つ『易経』にある、「聖人南面而聴天下、嚮(明)而(治)」「聖人南面して天下を聴き、明に嚮(むか)ひて治む」という文章に由来します。時代の変わり目に、元号候補に挙がることは何度もあったものの、なかなか採用されず、11回目にしてようやく採用された“苦労人の元号”なのです。大正明治と同じく、五経の1つ『易経』にある、「(大)亨以(正)、天之道也」「大いに亨(とほ)りて以て正しきは、天の道なり」という文章に由来します。元号候補に挙がり続け、5回目にしてこちらも元号として採用されました。ちなみに大正天皇語録によると、このときの元号候補は別に「天興」「興化」「永安」「乾徳」「昭徳」などがあったそうです。昭和四書五経の1つ『書経堯典』にある、「百姓(昭)明、協(和)萬邦」「百姓(ひゃくせい)昭明にして、萬邦(ばんぽう)を協和す」という文章に由来し、「国民の平和および世界各国の共存繁栄を願う」という意味をもつのです。ちなみに江戸時代には全く同じ言葉から、「明和」の元号がつくられています。「百姓昭(明)、協(和)萬邦」ですね。平成『史記 五帝本紀』にある、「内(平)外(成)」「内平かに外成る」、『書経 偽古文尚書』にある、「地平天成」「地平かに天成る」という文章に由来し、「国の内外、天地とも平和が達成される」という意味をもつのです。ちなみに「成」の字が元号に使用されたのは、平成が初めてです。元号に最も多く使われている漢字は「永」で、29回も使われています。「永」という漢字には、書に必要な8つの技法が含まれているということで、習字のお手本の字としても有名ですね。これまでの元号の総数は、南朝年号・北朝年号を合わせて考えると247個、南朝年号を基準に考えると231個。すごく多いですよね。後花園天皇の時代は、1人で9回も元号を変えています。飽きっぽい性格だったのでしょうか(笑)。現在の法律(元号法)では、新元号となるのは、今回のような“皇位継承”のときのみとされているので、今後、後花園天皇時代のように元号が頻繁に変わることはないでしょう。東進ゼミナールに通う、この春中学3年生になる生徒数名に「これまでの元号、何個言える?」と質問したところ、最も少ない子で1個(平成だけでした……)、最も多い子で20個(歴女ですね!)でした。皆さんはいくつ言えますか? 高校では今回ご紹介したものに加えて、「養老」律令、「承和」の変など、元号に絡んだ語句がさらに沢山出てきます。新元号となるこの機会に、歴史を振り返ると面白いかもしれません。© bee / PIXTA(ピクスタ)© lOvE / PIXTA(ピクスタ)
2019年03月31日